映画『ベンジャミンバトン 数奇な人生』のジャパンプレミアが六本木ヒルズ・アリーナ広場にて行われ、主演のブラッド・ピットがアンジェリーナ・ジョリーを同伴して登場した。

29日、映画『ベンジャミンバトン 数奇な人生』のジャパンプレミアが六本木ヒルズ・アリーナ広場にて行われ、主演のブラッド・ピットアンジェリーナ・ジョリーを同伴して登場した。

奥様お手を!
0アブラ


 抽選で選ばれた900人以上のファンが待つ中、18時10分ごろリムジンから降り立ったブラッド・ピット。スクリーンでその様子が流れるやいなや大歓声が沸き起こり、さらにアンジェリーナ・ジョリーも一緒だとわかるとアリーナ周辺は歓声とどよめきで興奮のるつぼに。アンジーは胸の大きく開いたブラックドレスで周囲を圧倒する妖艶な美しさを漂わせていた。その後はサイン大会。アンジーとブラピはそれぞれ違う方向に分かれ、レッドカーペットを行きつ戻りつして30分以上もファンと交流した。

 その後、デビッド・フィンチャー監督とステージに上がったブラッドは「こんなに歓迎してもらって最高の気分です。ドウモアリガト!」と超ゴキゲン。時折ファンに手を振り、マイクに向かってわざと声を出さずに口だけ動かして“あれ、マイクが壊れてるんじゃないの”とマイクチェックするジェスチャーをしてみせたりするお茶目ぶり。映画では特殊メイクで80歳までをブラッド本人が演じているが「メイクは時間がかかって大変だったけど、結構楽しかった。自分が歳をとったらこうなるんだなというのがわかっていい経験になったよ」と振り返っていた。その後、舞台裏に控えていたアンジーを伴ってステージを後にしたが、今もっとも輝いているハリウッドカップルを間近に見たファンたちも大満足のようだった。

 映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』は、80歳で生まれて年月を経るごとに若返っていく不思議な男ベンジャミン・バトンの人生を1918年の第一次大戦から21世紀に至るまでのニューオリンズを舞台に描く2時間48分の大作。2月22日に行われる第81回アカデミー賞に最多13部門でノミネート、ブラッド・ピットも主演男優賞の候補に挙がっている。 シネマトゥデイより

アンジェリーナ・ジョリーAngelina Jolie、1975年6月4日 - )は、アメリカ合衆国の女優、ファッションモデル及びUNHCR親善大使。


生い立ち
出生
カリフォルニア州ロサンゼルス出身。父はチェコ系およびドイツ系アメリカ人俳優のジョン・ヴォイトで母はフランス系女優のマルシェリーニ・ベルトラン。生後間も無い1976年に両親が別居するとジョリーは兄弟と共にニューヨークへ移住。幼少の頃から母と共に映画に親しみ、演技に対する興味を示し始めた。1982年には父が主演した映画に出演し親子共演を果たした。

演技方法の習得と絶望の思春期
11歳の頃にロサンゼルスに戻るとアクターズ・スタジオで演技を学び舞台に立つようになる。その後ビバリーヒルズにある高等学校の演劇クラスに進学するも病弱な母の収入は決して多いとは言えず、ジョリーも度々古着を着用するなど家庭環境が恵まれていなかったため裕福な家庭が多いビバリーヒルズにおいて徐々に孤立していった。

さらに、ジョリーが極端に痩せていたことや、サングラス、歯列矯正の器具などを着用していたことが他の生徒からのいじめを誘発した。ジョリーの自尊心も、モデルとしての活動が不成功に終わったことで失われ、自傷行為を始めた。当時のことをジョリーは「ナイフで自分を傷付けると生きているという実感が沸き、開放感に満たされ癒しを感じた」と振り返っている。

最終的にジョリーは14歳で演劇クラスを離れ、激しい自己嫌悪から将来の希望を「葬儀の現場監督」とした。事実、彼女は実際に葬儀会社へアルバイトとして葬儀場の遺体の死化粧を施す担当をするなど「死」というものに身近に接していた。また、常に黒の衣装を身に纏い髪を紫に染めたり、同棲相手とモッシュに出掛けたりと極めて反抗的な思春期を送り、学業に復帰するまでに2年の時間を要した。その後自堕落な生活から逃れたジョリーは、母が住む家から僅か数ブロックだけ離れたガレージの上にあるアパートを借り、再び演劇を学んで高等学校を卒業した。この頃についてジョリーは「今でも、そしてこれからも私はタトゥーを付けた子供である」と表現し、当時の出来事と苦悩が自身に与えた影響が如何に大きなものであったかを話すことがある。


キャリア
キャリアの始まり
ジョリーは14歳で米国とヨーロッパを基点にファッションモデルを始めた。その一方で幾つかのミュージック・ビデオに出演。先述の通り16歳で演劇を再度学び始め、ドイツ人のミストレス役で舞台デビューを飾った。兄が製作した学生映画への出演を経て1993年、低予算ながら映画初出演を果たす。1995年、『サイバーネット』で映画初主演。興業収入こそ精彩を欠いたものの、ジョリーの存在感と演技は「ニューヨーク・タイムズ」において絶賛を博し、同作品はソフト化されてからカルト映画として再評価された。

俳優としての飛躍〜トップスターへ
その後も多数の作品でキャリアを重ね、次第に賞レースにもその名が挙げられるようになった。そしてジョリーの評価を決定付けたのは1998年放映のテレビ映画『ジーア/悲劇のスーパーモデル』での演技である。エイズとドラッグにより短い生涯を終えた実在のモデル、ジア・キャランジを演じたジョリーはこの作品で数多くの賞とノミネートを受けた。さらに翌1999年の『17歳のカルテ』でアカデミー助演女優賞を受賞。実力派女優としての地位を確立したものの、時を同じくしてジョニー・リー・ミラーとの離婚を中心とした親族との不和が先行したきらいがあった。

しかし2000年、ヒロイン役として出演した『60セカンズ』が興行的に大成功を収めると、翌2001年に出演した人気テレビゲーム『トゥームレイダー』の実写化作品で、過酷なトレーニングで武道を習得した末に主人公のララ・クロフトを演じ、映画評論家から「ジョリーはクロフトを演じるために生まれてきた」と評されるなど絶賛を博し一躍世界的な人気を獲得した。その後、『Mr.&Mrs.スミス』で記録的な興行収入をあげるなど、30代前半にしてアメリカでもトップクラスのマネーメイキングスターとして活躍を続けている。


慈善活動と子供たち
2001年頃から本格的に慈善活動を始め国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使も務める。

その活動の一環として、2002年3月にカンボジア人の男児、2005年7月にエチオピア人の女児、2007年3月にベトナム人男児をそれぞれ養子として引き取る。2006年5月には、ナミビアで俳優ブラッド・ピットとの間の実娘、シャイロ・ヌーベルを出産した(入籍はしていない)。ちなみに「シャイロ」は「救世主」「幸福なもの」という意味があり、アンジェリーナの実兄につけられるはずだった名前である。2008年7月12日にフランス南部のニースで男児(ノックス・レオン)と女児(ヴィヴィアン・マーシェリン)の双子を出産[1]。

米紙ニューヨーク・タイムズは2008年11月11日付けの一面で「アンジェリーナ・ジョリーとそのイメージ」と題し、硬派の同紙としては異例の記事を掲載、米国の有名女優がマスコミ対策に腐心し、時には編集にまで介入していると批判的に報じている[2][3]。

ジョリーはこの夏、出産した双子の写真撮影と、本人と夫の俳優ブラッド・ピットとのインタビューの独占権を雑誌ピープル(タイム社)に推定1400万ドル(約13億4000万円)で売ったが、同時に「将来にわたり一家について不利な編集はしない」ことも条件としたという。タイム社は「写真を買ったが、(編集)内容は外部からの要請によって決められることはない」と声明で反論。ジョリー側は一切、コメントしていないという。記事はさらに、カンボジアの子どもらを養子にしているジョリーが、エイズ撲滅運動に協力するなど「篤志家」のイメージを売り込むことに腐心してきたことや、いわゆるパパラッチにわざと撮影させるための機会を自ら設定するなど、マスコミ「操作」に極めてたけているとの関係者らの証言を伝えている[3]。ただ、堅い記事で信頼を得ているニューヨーク・タイムズがこのような記事を掲載したことに読者からは「まるでゴシップ紙のようだ」という落胆の声が多く、同紙電子版にある読者コメント欄には批判的なコメントが相次いだ[4]。


エピソード・評価

家族関係
度重なる不倫により敬愛する母を苦心させたことから実父のジョン・ヴォイトとは長年に亘り不仲が続いた。『トゥームレイダー』で父娘共演を果たすなど復縁も噂されたが2002年7月には本名のアンジェリーナ・ジョリー・ヴォイト(Angelina Jolie Voight)から「ヴォイト」を除外する改名を裁判所に申請。ロサンゼルス上級裁判所の判決により承認され同年9月12日付で同一の本名となった。

度重なる不倫と浮気で父に苦心させられた経験から、最低限のルールとして自らは不倫も浮気も一切していないと公言していたが、ブラッド・ピットの妻であるジェニファー・アニストンが2005年10月2日に離婚する前に、アンジェリーナはブラッドの子供をすでに妊娠していた。この不倫は、連日ゴシップとして伝えられた。

ジェニファーとブラッドがまだ夫婦だった、2004年、「Mr.&Mrs.スミス」の撮影中にブラッドと恋に落ちたとアンジェリーナは口を滑らせた。「子供が、両親が恋に落ちた映画を見るチャンスなんてそうそうないわ。ブラッドに会えるから、撮影現場に行くのが楽しかった」と発言。(ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューにて)アンジェリーナの発言を、前妻のジェニファー・アニストンは「本当に格好の悪いこと」と批判した。


交際/結婚歴
『サイバーネット』の共演を機に知り合ったジョニー・リー・ミラーと1996年3月に結婚。翌年から別居し1999年2月に離婚。婚姻関係にあった最中もティモシー・ハットンとの交際が報じられた。

狂っちゃいないぜ』で共演したビリー・ボブ・ソーントンと2000年5月5日に駆け落ちの末結婚。ソーントンはジョリーの養子の里親となったが2003年5月27日に離婚。

その後コリン・ファレルとの交際が報じられた後『Mr.&Mrs.スミス』で共演したブラッド・ピットと交際中。また、メディアはピットとジョリーの名前を一つにしてブランジェリーナ(Brangelina)という造語を作った。

恋多き女性としてメディアに取り上げられるが、本人は「これまでの人生の中でセックスした男性は4人だけ。嘘じゃないわ、そのうちの2人とは結婚したんだから」と主張している。そのうち4人とは現在のパートナーのブラッド・ピット、元夫のジョニーとビリー、名前は明かせないもう1人だという[5]。


性的ゴシップ
ナイフの収集を趣味としており、10代の頃、交際していた男性とナイフで傷付け合い快感を得ていた。その動機も、通常の性行為で飽き足らなかったために使用したナイフで偶然怪我をした瞬間に快感を覚えたとのことである[6]。また、ソーントンとは互いに血液の入ったカプセルを持ち歩き、さらに女優・モデルのジェニー・シミズが1990年代初頭にジョリーと同性愛の関係にあったとインタビューで回答し世間を賑わせたが、度重なる不倫と浮気で父に苦心させられた経験から、最低限のルールとして自らは不倫も浮気も一切していないと公言している。また、ブラッド・ピットが恋人になってからSMやレズビアンに走ることはなくなったと語る[7]。


その他

背中のタトゥー(2007年6月)幼少時からタトゥーに親しんでおり背中、腹、腕などあらゆる箇所に彫り込んでいる(画像参照)。嘗ては左腕に元夫の名前を彫り込んでいたが離婚と同時にレーザーで消し、現在は子供達全員の出生地とその経度を彫り込んでいる。
ジョリーの外見的特徴の一つであり、彼女をセックス・シンボルたらしめている豊かな唇は、シリコンなどで人工的に作られたという疑惑が度々浮上しているが、少女時代のスナップ写真が整形ではない証拠となっている。
ジョリーを世界的なトップスターにのし上げた『トゥームレイダー』であるが、当初はオファーの際に、演じることが内定しているララ・クロフトの画像を目にした瞬間、余りに醜悪で筋肉質な容姿に拒絶反応を起こし即座に断った。

主な出演作品

映画
公開年 邦題
原題 役名 備考
1993 サイボーグ2
Cyborg 2 キャッシュ・リース 日本未公開
リニューアルパッケージ版のDVDタイトルは「アンジェリーナ・ジョリー サイボーグII」
1995 第一目撃者
Without Evidence ジョディ 日本未公開
サイバーネット
Hackers ケイト・リビー 日本未公開
1996 リアル・ブラッド
Mojave Moon エレノア 日本未公開
1997 不法執刀
Playing God クレア 日本未公開
ロード・トゥ・ヘブン
True Women ジョージア テレビ映画
ジョージ・ウォレス/アラバマの反逆者
George Wallace コーネリア・ウォレス テレビ映画
1998 ジーア/悲劇のスーパーモデル
Gia ジア・キャランジ テレビ映画
ゴールデングローブ賞主演女優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)受賞
エミー賞主演女優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)ノミネート
Hell's Kitchen
Hell's Kitchen グロリア 日本未公開
1999 狂っちゃいないぜ
Pushing Tin マリー
ボーン・コレクター
The Bone Collector アメリア・ドナヒー
マイ・ハート、マイ・ラブ
Playing by Heart ジョア
17歳のカルテ
Girl, Interrupted リサ アカデミー助演女優賞受賞
ゴールデングローブ賞 助演女優賞受賞
2000 60セカンズ
Gone in Sixty Seconds スウェイ
2001 トゥームレイダー
Tomb Raider ララ・クロフト ゴールデンラズベリー賞ワースト主演女優賞ノミネート
ポワゾン
Original Sin ジュリア
2002 ブロンド・ライフ
Life or Something Like it レイニー ゴールデンラズベリー賞ワースト主演女優賞ノミネート
2003 トゥームレイダー2
Lara Craft Tomb Raider : The Cradle of Life ララ・クロフト ゴールデンラズベリー賞ワースト主演女優賞ノミネート
すべては愛のために
Beyond Borders サラ
2004 テイキング・ライブス
Taking Lives イリアナ・スコット
スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー
Sky Captain and World of Tomorrow フランキー・クック
アレキサンダー
Alexander オリンピアゴールデンラズベリー賞ワースト主演女優賞ノミネート
シャーク・テイル
Shark Tale ローラ 声の出演
2005 Mr.&Mrs. スミス
Mr. and Mrs. Smith ジェーン・スミス
2006 グッド・シェパード
The Good Shepherd クローバー
2007 マイティ・ハート/愛と絆
A Mighty Heart マリアンヌ・パール ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ドラマ部門)ノミネート
ベオウルフ/呪われし勇者
Beowulf グレンデルの母
2008 カンフー・パンダ
Kung Fu Panda ティグリス 声の出演
ウォンテッド
Wanted フォックス
チェンジリング
The Changeling クリスティーン・コリンズ 2009年2月20日日本公開予定


CM
INTEGRATE (資生堂、2007年9月 - )

著書
思いは国境を越えて 中西絵津子訳 産業編集センター 2003年 ISBN 4916199561




関連書籍
アンジェリーナ・ジョリー 彼女のカルテ』(ブルース・インターアクションズ、2008年)


主な受賞
アカデミー賞
1999年度 助演女優賞17歳のカルテ
ゴールデングローブ賞
1999年度 助演女優賞17歳のカルテ
全米映画批評家協会賞
1999年度 新人賞 『17歳のカルテ
MTVムービー・アワード
2006年度 格闘シーン賞 『Mr. and Mrs.スミス』(ブラッド・ピットと共に)

吹替え声優
小林晃子
小島幸子
湯屋敦子
本田貴子
石塚理恵
島本須美
深見梨加
高木礼子
小林沙苗
田中敦子
朴璐美
山田みほ
緒方恵美
松本梨香
松来未祐
根本圭子
田中理恵


外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、アンジェリーナ・ジョリー に関連するマルチメディアがあります。Angelina Jolie - Internet Movie Database (英語)
Angelina Jolie, UNHCR Goodwill Ambassador(英語版)
Angelina Jolie's Refugee Journals(英語版)
Brad Pitt and Angelina Jolie Profile(英語版)
Baby girl born at Welwitschia Clinic in Walvis Bay, Namibia(英語版)
Angelina & Brad Have a Girl!, born at The Cottage Hospital, Swakopmund, Namibia(英語版)
WCBS-TV report on official Baby ' Brangelina' Images(英語版)

脚注・出典
[ヘルプ]
^ AFPBB News (2008年7月13日). "米女優アンジェリーナ・ジョリーさん、双子を無事出産". 2008年8月1日 閲覧。
^ NY Times.com (2008年11月11日). "Angelina Jolie’s Carefully Orchestrated Image". 2009年1月23日 閲覧。
^ a b MSN産経ニュース (2008年11月22日). "ジョリーさん、編集介入? NYタイムズが異例の批判". 2009年1月23日 閲覧。
^ Narinari.com (2008年11月22日). "NYタイムズのA・ジョリー批判に読者落胆「まるでゴシップ紙のようだ」。". 2009年1月23日 閲覧。
^ MovieWalker (2007年9月24日). "アンジー、「セックスしたのは4人だけ」". 2008年8月1日 閲覧。
^ シネマトゥデイ (2007年4月25日). "アンジェリーナ・ジョリー、ワイルドな過去の愛". 2008年8月1日 閲覧。
^ シネマトゥデイ (2007年8月16日). "アンジェリーナ・ジョリーレズビアンは卒業?

映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』は2月7日より、丸の内ピカデリーほか全国公開

映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』オフィシャルサイト http://wwws.warnerbros.co.jp/benjaminbutton/