藤原紀香(38)が18日、都内で主演キャバレーでセクシーランジェリー姿を披露し悩殺~~~~~

女優、藤原紀香(38)が18日、都内で主演ミュージカルキャバレー」(演出・小池修一郎)の公開けいこを行い、セクシーランジェリー姿を披露した。




 1920年代のドイツベルリンのキャバレーを舞台に、ショーガールと売れない作家の恋物語を描いた同作。紀香は胸元がパックリ開いた黒いランジェリー姿で、第1幕のナンバーママには内緒よ」を華麗に歌い踊り、「歌姫として着たこともない衣装で、持ったことがないムチとか持ったり。でもセクシーでゴージャスエンターテインメントに仕上がっています」とPR。濃厚ラブシーンの相手役、阿部力(27)についても、「汗だくになってベッドシーンとかやってます。いい感じですよ」と余裕の表情で語った。



 一方、ストーリーテラーとなる諸星和己(38)は「もしかしたら紀香の下着が取れてポロリといくかもしれない。僕は(紀香の妖艶な姿が)夢にも出てきて毎朝大変です」と茶目っ気たっぷり。阿部は「プレッシャーがある。ポロリは僕にも責任があるので…」とタジタジだった。



 公演は来年1月7〜29日、東京・日比谷日生劇場、2月5〜7日、大阪・梅田芸術劇場メインホール、2月12〜14日、名古屋愛知勤労会館、2月20〜21日、福岡北九州芸術劇場で上演される。




★ふじわら のりか

藤原 紀香

本名 藤原 紀香

別名 NORIKA

生年月日 1971年6月28日(38歳)

出生地 日本・和歌山県

国籍 日本

血液型 A型

職業 女優、モデル

ジャンテレビドラマ、舞台、映画

活動期間 1993年 -

配偶者 なし

公式サイト NORIKANESQUE(ノリカネスク)

主な作品

スタアの恋

備考

第24回ミス日本グランプリ

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藤原紀香 プロフィール

公称サイズ(2009年時点)

身長 / 体重 171 cm / ― kg

スリーサイズ バスト 88cm -ウエスト 60cm -ヒップ 89 cm

股下 / 身長比 88 cm / 51.5 %

人物

神戸親和女子大学文学部英米文学科卒業。

資格は、英語検定2級、着物着付け3級。

趣味は、写真、釣り、加圧トレーニング映画鑑賞タンゴスポーツ全般(特技も)、アロママッサージ。

設計事務所経営の父、専業主婦の母と3歳下の弟の4人家族である。

中学・高校時代は阪急電鉄で通学。中学時代はバスケットボール部に所属し、高校時代は落語研究会に所属していた。芸名は「親和亭かつお」だった。

体型が峰不二子に似ていると自負(『SRS』の番組内でコスプレしたことがあり、自身も50歳60歳になっても「峰不二子」の容姿でいたいと2007年2月16日の『スポーツニッポン』のインタビューで語っていた)。

和歌山県出身の両親が結婚前によく紀ノ川周辺でデートをしており、思い出深い「紀ノ川」の「香り」にちなんで紀香と命名された。

母親は紀香よりも大柄で若き日には、第1回ミス和歌コンテストに出場したが、ミスに選ばれなかった。また家族に反対され芸能界入りを諦めた。そのため紀香に期待し、娘のミスコン出場には積極的で、芸能活動にはとても協力的、娘がミスコンに応募した頃から度々TVにも登場している。2006年12月10日の結納時に、うつむいて顔を隠して車に乗っていたため、報道陣に影武者として写真を撮られているが、影武者のつもりはなかった。

自著である『藤原主義』によると、芸能界デビュー当初は実家から新幹線や飛行機で仕事場に通っていたが、阪神・淡路大震災で親戚や知人を亡くして「やり残したことを後悔しながら死ぬのは嫌だ。これからは自分の夢に向かって生きていこう」と決意し、親元から離れて上京することを決意したとのこと。その時、家族会議が行われ、母から「成功出来んかったら帰っておいで。」と言われるが最終的には上京を認めた。上京の際、父がトラックに荷物を積んで一緒に東京へ行ったという。

大黒摩季とは「のりぞう」「まきぞう」と呼び合う間柄。

ラジオDJパーソナリティである玉川美沙と同年齢で同じ関西人という繋がりで親交があり、彼女の番組『玉川美沙 たまなび』(文化放送)にもゲスト出演した[5]。

風水を学問として捉え、かなり奥深く学んでいるらしい。陣内智則との交際・結婚についても風水建築デザイナー直居由美里にみてもらっている。

美容と健康のためにローズウォーターを飲んでいる。

CHAGE and ASKAASKAを兄のように慕っており、デビューして間もなく居酒屋でASKAに会い、仕事面で悩んでいた彼女はASKAに相談したところ「必ず売れる」と言われ、その後すぐに主演映画が決まりASKAが舞台挨拶にサプライズで登場した。

クイズ!紳助くん」の初代アシスタントオーディション参加者の中でも彼女の日本人離れしたスタイルは群を抜いており、会場を覗いた島田紳助に「誰や!ハナテン中古車センターに新車のポルシェ持ってきたやつは!」と言わしめた。

空腹状態での仕事が苦手。お腹が空きすぎると凶暴になり、赤ちゃん言葉を発するという[6]。

大好物は食用ホオズキ。わざわざ箱で取り寄せて甘酸っぱい味を愉しむという[6]。

海洋動物が大好きで、小学校の頃の夢はイルカショーお姉さん。一緒に寝泊りして飼育することに憧れていたという。

入浴時、湯船にはたっぷり日本酒を注ぐ。シャンプーの前にはたっぷりの塩を頭からかぶる。彼女なりの健康法であるという。

食には気を遣っている。愛用のオリーブオイルはKiyoe(キヨエ)オリーブオイル(TBSリンカーンでの陣内の発言により)

「三分前は過去」が彼女自身の好きな言葉だという。

国際活動や人道支援への協力

2002年には、韓国の女優キム・ユンジンとともに日韓国民交流年の際、サッカー・ワールドカップ日韓共催大会の親善大使に起用され、両国の交流に貢献し、青瓦台にも訪問。

内乱後のアフガニスタンに赴き、戦災についてのテレビレポートを行ったほか、元々は趣味から身につけた写真技術を駆使して現地での取材を行い、2004年から2005年にはJICA独立行政法人 国際協力機構)の『ピーストークマラソン』に賛同して、写真展を日本各地で行い、人道支援の寄付募集などのチャリティー活動に努めている。

2006年には、国連スタッフと共に独立運動の混乱の最中であった東ティモールへ向かって写真取材を敢行し、当時のラモスホルタ外相(現在は首相)の家にも招かれた。後にニューヨーク市内で国家支援を訴える写真展を開催し、その開会式においてスピーチを行った。アナン事務総長にも面会。

2007年日本赤十字社広報特使になり、2008年1月バングラデシュに赴き、ハリケーン被害を受けた村を取材。

U2のボノとも親交があり、ボノが来日すると連絡を受け、現在のアフリカ国際貢献に関しての話をする(ボノ作成のサミットへのメッセージビデオにも出演している)。

2009年赤十字広報特使として、ケニアIHOP事業の視察へ。乳幼児や、5歳未満で死亡してしまう子どもたちの現状を視察。

NHK特番[SAVE THE FUTURE]で二年連続司会を務め、その取材で、NYにて環境学者レスター・ブラウン氏と対談。環境大国スウェーデンや、国土が海に沈んでしまうかもしれないツバル、日本では屋久島渡航環境問題にも精通している。

2009年8月 STC「OPPAIプロジェクト」に賛同し、プライベートベトナム渡航。帰国後母乳育児をしないベトナムの民族の現状、母乳育児の重要性を表参道のAOビルチャリティ写真展を通して伝える。