小室哲哉は「率直に嬉しく、周囲の皆様、ファンの皆様に心から感謝しております」と感激、作曲家復帰

昨年5月に詐欺事件で有罪判決を受け、執行猶予中の音楽プロデューサー小室哲哉(51)が作曲家復帰することが7日、分かった。第1弾として男女7人組グループ、AAA(トリプル・エー)の新曲「逢いたい理由/Dream After Dream〜夢から醒めた夢〜」(5月5日発売)が完成。約2年ぶりの新曲「逢いたい−」は8日から、ダブルA面の「Dream−」は14日から、着うたが先行配信される。

紆余曲折を経て、敏腕プロデューサーがついに“本業”を再開する。



 2月に単独公演を開催するなど本格的に歌手復帰したが、作曲家活動はこれが初めて。楽曲の提供は、08年4月に妻でglobeのボーカル、KEIKO(37)のソロアルバム「O−CRAZY LUV」以来2年ぶりとなり、小室は「率直に嬉しく、周囲の皆様、ファンの皆様に心から感謝しております」と感激のコメントを寄せた。



 第1弾「逢いたい−」は、切ない心情を温かく歌い上げた壮大なミディアムバラード。作詞はDo As Infinityらを手掛ける作詞家、Kyasu Morizuki氏が担当した。「Dream−」は力強さと疾走感あるダンスポップで、EXILEで知られる作詞家、Kenn Kato氏が手掛け、両曲で“小室節”を存分に披露している。



 昨年8月に制作活動を再開しこれまで約60曲のデモ音源を作ってきた。このほどエイベックスから「AAAのステップアップのために」と楽曲提供を依頼され、「メンバーおのおのが個性を持った新世紀パフォーマー集団だと感じた」と快諾。デモ音源の中から7人にピッタリな温かさと強さを感じる2曲を選んだ。



 今年1月から3カ月間行ったレコーディングでは、楽曲が完成する瞬間に立ち会う喜びをかみしめ、収録後すぐに新たな楽曲制作に取りかかったという。



 昨年5月、著作権譲渡をめぐる5億円の詐欺事件で懲役3年、執行猶予5年の判決を受けた。判決後初のステージとなった同8月のライブイベント「a−nation」で謝罪し、再起を誓った。一時代を築いたヒットメーカーは「今後は日本各地でのコンサートなどでファンとの触れあいを大切にしながら、楽曲制作に励んでいきたい」と決意をにじませた。


★小室 哲哉(こむろ てつや、1958年11月27日 - 、本名同じ)は、日本の東京都府中市出身の音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家キーボーディストシンセシストシンセサイザープログラマーミキシングエンジニア、DJ、VJ、アーティスト。元尚美学園大学芸術情報学部教授。妻はglobeのボーカルのkco。



愛称は「先生」「てっちゃん」「テツ」「コム」「小室」「TK」「テチ」「テツニー」など。



身長167cm、体重47kg。



略歴

学生時代

音楽の時間に作曲のテストがあった際、教師が小室の作品を見て「誰かは言いませんけどこの中ですごく上手な人がいました」と言った後、その曲がピアノで披露されて、その曲を他のクラスメイトがリコーダーで吹いた。しかし小室は当時を振り返り「目立ちたくない時期だったためものすごく嫌だった」と語っている。日本万国博覧会シンセサイザー冨田勲の存在を知り、衝撃を覚える。



家にあったギターヴァイオリンエレクトーンを家族に無断で売り、当時16万円以上したというシンセサイザーローランドSH1000」を購入した。「TM NETWORK」の4thアルバムSelf Control」に収録されている「Here, There & Everywhere (冬の神話)」の雛型をその頃に作曲したという。



早稲田実業学校高等部商業科に入学。小室の作曲テクニックにクラスメイトが憧れる余り、クラスメイトの半数以上の作曲の宿題を肩代わりさせられた。音楽担任は小室が卒業するまで気づかなかったという[13]。



早稲田大学社会科学部に進学し5年ほど在籍、その途中プロミュージシャンとしての活動を開始する(哀婉・あのねのね白竜原田真二等のバックバンドキーボードを担当)、SPEEDWAYへの参加等)。その後、音楽活動に没頭していた・授業料を楽器代に使い廻していた為に単位がとれず除籍。
第一全盛期

1986年に渡辺美里へ提供した「My Revolution」が第28回日本レコード大賞金賞。自身の音楽ユニットであるTM NETWORKは、1987年に発表した「Get Wild」で一躍人気バンドとなり、1988年には第39回NHK紅白歌合戦出場



自身のバンド活動と平行して、渡辺美里をはじめ、岡田有希子荻野目洋子おニャン子クラブ福永恵規堀ちえみ中山美穂松田聖子小泉今日子宮沢りえ観月ありさ牧瀬里穂中森明菜などに楽曲を提供し、作曲家としても活躍する。



1989年に自身がリードボーカルを担当したソロ作の「RUNNING TO HORIZON」、「GRAVITY OF LOVE」が連続でオリコンシングルチャート1位を記録。1985年 - 1992年の間には、アニメーション映画の「吸血鬼ハンターD」、実写映画の「ぼくらの七日間戦争」、「天と地と」、月9テレビドラマの「二十歳の約束」、舞台ミュージカルの「マドモアゼル・モーツァルト」の劇中音楽を手掛けた。



第二全盛期

1994年のTMN終了前後から、観月ありさ篠原涼子trf、hitomi、内田有紀H Jungle with tdos、globe、華原朋美安室奈美恵tohko鈴木あみなど、多数の作詞、作曲、編曲と音楽プロデュースを兼任して行い、1994年から1999年の間に数々のミリオンセラーヒット曲を打ち立て、その様子から各メディアにおいて、「小室ファミリー」、「小室サウンド」、「小室系」といった独自の名称でカテゴライズされる小室ブームという少年時代からの夢だった社会現象を起こした。



1995年から4年連続でプロデュースした曲が日本レコード大賞を受賞[20]。1996年4月15日にはオリコンシングルチャートにおいてプロデュース曲がトップ5を独占した。1996年はglobeのアルバム「globe」が当時のオリコン記録を更新する売り上げ400万枚以上を記録。安室奈美恵のアルバムも300万枚を超えるなどこの年だけでプロデュース曲の総売上枚数は1,500万枚以上を記録した[21]。さらに1996年から2年連続で高額納税者番付において全国4位を記録、1997年の納税額は11億7000万円で推定所得は約23億円だった[21]。1996年末には海外進出を狙いルパート・マードックと組み、100万ドルを出資して香港に合弁会社TK NEWS(後のRojam Entertainment)を設立した[21]。1997年はスピード2テーマ曲リミックスを手掛けるなどした。



2000年以降

しかし1999年からCDの売り上げが急降下[21]。ファン離れが急速に進んだ[22]。活動の幅を広げるため2001年に吉本興業と契約を結んだものの、低迷は続いたままとなった[21]。2002年には2001年に結婚していたASAMIと離婚、約7億円の慰謝料を一括で払うことはできず分割で支払うことになったが、その支払いも資金繰り悪化の為に2004年8月頃には滞るようになったという。



またASAMIと離婚直後の2002年11月にKeikoと再婚した。この頃から所有していた別荘、株、高級乗用車クルーザーなどの資産売却を行うようになった。2004年には約70億円の損失を出しRojam Entertainmentから撤退した。さらに2005年9月には大分トリニータへのスポンサー料7000万円を滞納していることも明らかとなった。2008年11月1日にNACK5の開局20周年番組に出演した際には自らの活動を振り返り「98年からの10年はなかなか曲が出てこなかった」と語っていた[24]。



5億円詐欺容疑による逮捕・起訴

2006年8月6日、小室は日本音楽著作権協会に自分名義で登録している全楽曲806曲の著作権を10億円で譲渡する仮契約を男性と結び、前妻のASAMIが著作権使用料を差し押さえているとして、その解除費用として5億円の先払いを要求し、8月29日までに5億円を受け取った。



しかし、実際には仮契約段階で既に著作権の一部は音楽出版社に譲渡(音楽業界では著作者である作曲家や作詞家が音楽会社に著作権を譲渡して管理を任せる代わりに、印税を受け取ることが慣例となっている[25])されており、小室には著作権がなかった[25]。だが小室は返金に応じなかったため、男性は2008年2月に小室に対し逸失利益を含めた6億円の損害賠償を求め提訴。小室が全額を支払うことで和解が成立したが、期日であった9月末までに小室は支払わなかった。



このため男性は地方検察庁刑事告訴を行った。検察側は小室が受け取った5億円を差し押さえ解除ではなく借金返済に使っていたことを把握、当初から金を詐取する目的だったと判断し、2008年11月4日に小室とトライバルキックスの社長、広告会社の実質経営者の計3名を5億円の詐欺容疑で大阪地検特捜部に逮捕された。11月21日に起訴、さらに同日保釈保証金3,000万円を支払い保釈された。



2009年1月21日に大阪地方裁判所にて初公判、3月12日に第2回公判が行われ、小室側が遅延損害金を含む計6億4800万円を被害者側に振り込んだことが明らかになった(2009年3月10日に解決金を含めて6億5000万円をエイベックス・グループ・ホールディングス社長の松浦勝人が立て替え払いを行い、被害者に完済した)。お金を振り込んだ後、被害者側に謝罪の手紙を送っているが被害者側に受け取りを拒否されている。[28]なお、この被害者に送るつもりだった謝罪文は第三回公判の際に、小室自身により読み上げられた。[29]しかしながら、被害者側との示談交渉においては「誠意が足りない。お金が足りない。」と断られている。なお、SNSmixiでは2008年11月から「小室哲哉氏の復活を願う会」というコミュニティが457人を集めたり、mixiのサポートを受けての紙ベース署名活動も行われていた。(署名TVでも行われていた。)さらに小室の母親やマネージャー弁護士の了解を得た上で署名活動と平行して裁判所への提出もありうるという大前提で小室に対して手紙を書く「小室哲哉さんへの手紙」という活動も行われていたりと、復帰待望論が起き、[30]小室の減刑を望む動きは、音楽業界や音楽業界関係者からもあり、実際に減刑嘆願書を出した音楽業界や音楽業界関係者もいる。第3回公判は4月23日に行われて結審。



2009年5月11日、大阪地方裁判所より懲役3年、執行猶予5年の有罪判決が言い渡された。弁護側・検察側の控訴はなく、同年5月25日午前零時を以って刑が確定された。



2009年12月に復帰作としてやしきたかじんに楽曲(秋元康作詞)を提供することが明らかになった。