篠山紀信罰金30万円霊園でヌード撮影「礼拝所不敬と公然わいせつの罪」

篠山紀信さんに罰金30万円 霊園ヌード撮影に東京簡裁

 霊園の墓所で女性モデルのヌードを撮影したとして、礼拝所不敬公然わいせつの罪で略式起訴された写真家の篠山紀信さん(69)に対し、東京簡裁は9日までに罰金30万円の略式命令を出した。命令は5月26日付



 起訴状によると、篠山さんは女性モデル2人のうち1人と共謀し2008年10月15日夜、東京都港区の都立青山霊園墓所で、モデルのヘアヌードを撮影する不敬行為をした、としている。



 警視庁が1月、ヌード写真集「20XX TOKYO」のために結婚式場百貨店前など計12カ所で撮影したとして、公然わいせつ容疑で3人を書類送検。モデル2人は起訴猶予処分となった。


東京・港区の墓地で全裸の女性モデルを撮影したとして、礼拝所不敬罪などの罪で略式起訴されていた写真家の篠山紀信さんに対し、東京簡易裁判所が5月、罰金30万円の略式命令を出していたことがわかった。

篠山さんは2008年10月、港区の都立青山霊園で、全裸の女性モデルが墓石に立つ写真などを撮影したとして、礼拝所不敬罪と公然わいせつ罪で略式起訴されていて、東京簡裁は5月26日に、罰金30万円の略式命令を出した。

篠山さんは、略式起訴された際、「撮影現場に使われ、不愉快な思いや怒りを感じられた方々には、深くおわびしたい。この事件を真摯(しんし)に教訓として受け止めたうえで、さらなる新しい表現に果敢に挑んで行きたい」とコメントしている。



篠山 紀信(しのやま きしん、本名の読み・-みちのぶ、1940年12月3日 -)は、東京市淀橋区柏木(現在の東京都新宿区北新宿)出身の写真家。



経歴

真言宗円照寺の住職の次男。新宿区立淀橋四小学校を経て、私立芝中学校・高等学校に入学。 中学2年生の時、落語家に入門。8代目桂文楽落語協会会長)の孫弟子となる。



日本大学藝術学部写真学科及び東京綜合写真専門学校を卒業。写真家沢渡朔と同期。



モデルと離婚後、アイドル歌手南沙織(本名=篠山明美)と再婚。俳優の篠山輝信は次男。



在学中より新進写真家として頭角を現し、1961年にライトパブリシティに就職。APA賞等数々の賞を受賞。華々しいデビューを飾る。初期の作品には『Death Valley』『Twins』『Nude』など傑作が多い。ジョン・レノンの生前のラストアルバム『ダブル・ファンタジー』のジャケット撮影は篠山の作品である。



その作品数の多さ、ジャンルの多様さはヌードから歌舞伎まで他の写真家を遥かに凌ぐ。1975年に雑誌『GORO』で歌手の山口百恵特集で使い始めた「激写」は流行語になり[1]、その後の松田聖子ら芸能人や素人をモデルにした一連の激写シリーズで知られるようになる。1978年に写真集『大激写 135人の女ともだち』がベストセラーになったことを契機として、1980年には篠山をメインにした写真雑誌『写楽』が創刊された。



赤塚不二夫天才バカボンでは本人をモデルにしたカメラ小僧篠山紀信君として登場し、つむじ風を巻き起こしながらどこにでも現れて、決定的瞬間をとる人物とされている。。



1978年から1997年にかけては『週刊朝日』の表紙写真を撮影。1980年に始まった『週刊朝日』表紙の女子大生シリーズからは、何人もの女優や女子アナウンサーを輩出している[3]。その他にも『週刊現代』の表紙写真や、月刊テレビ情報誌B.L.T.』の表紙、及び巻頭グラビアを毎号担当。『B.L.T.』では被写体のヌードはないが、寝そべって、胸の谷間を見せるポーズなどほかの雑誌よりは露出度が高いグラビアを撮影している。



デジタルカメラを用いて撮影した場合は、「シノヤマキシン」(2000年頃)「しのやまきしん」「digi_KISHIN」(2003年頃)と言う別名義を使用する時もある。時代の節目で、いつの時代も最良の時間と場所でカメラを構えている。



女性を被写体とした多数のヌード写真を撮影している。1969年にカメラマン沢渡朔林宏樹らと全日本恥毛露出連盟ことゼンチロレンを結成して会長に就任。[4]1991年には女優の樋口可南子をモデルにした写真集「Water Fruit 不測の事態」で事実上、陰毛を解禁させ、続けて同年に出版した当時トップアイドルだった宮沢りえのヌード写真集「Santa Fe」は新聞に出した全面広告が評判を呼び、ヘアヌードブームを巻き起こした。「Santa Fe」はその年のベストセラー7位、「Water Fruit 不測の事態」は10位の記録を残している。[5]



撮影したヌード写真については、女性の事務所サイドから写真の使用を止められた場合ネガを持ち帰り、自宅で保管する。後にその女性が、芸能界で所謂「落ち目」になったときに、秘蔵ヌードが見つかったことにして『今のヌード』と『昔のネガ』を持ち出し、その二つを一冊の写真集にして発売することがある(例:水沢アキ杉田かおる)。



篠山の企画はたいていの場合、スマートであるとともに、ヒットし(一般受けし)、絶大な人気を誇るため(ただし、写真作品1枚1枚の良し悪しによるというよりは、その企画(発想)自体が世の中に受けているという面は否定できない)、同業者や熱心な写真愛好家の中には反感を抱く者もいるようである。



話題性のみを追求しているともとれるその作品制作の姿勢は、写真評論家や写真批評家による評価を気にしないようでもあり、そのことから、日本写真史における篠山の位置づけは固定していないようである。



常に「今」を感じ、時代と共に表現が変わり続けるという自己のスタイルに対する軽妙さ(時代の複写)の写真家である。定義付ける事が困難なのは、写真における大衆性がしばしば批判的に捉えられる日本の慣習によるものである。商業的なイメージのある反面、自身が落語家であるということから6代目三遊亭圓生を長年撮り続けた。また歌舞伎にも手を広げ、5代目坂東玉三郎を30年以上撮り続け、文化的側面で非常に貴重な写真も数多く残している。近年は彼のみならず、17代目中村勘三郎や歌舞伎界の花形を撮り続けている。



なお、自決直前の三島由紀夫を被写体とした写真集(『男の死』)は、当初公表される予定であったが、1970年の三島の自決事件の影響に加え、同じく被写体となっていた横尾忠則の反対により、未だ正式な刊行には至っていない。



また、日芸在学中に知り合った、アート・ディレクター鶴本正三とは多くの仕事をともにし、1972年の写真集「オレレ・オララ」、1975年から「GORO」ではじまった「激写」、1977年の写真集「カメラ小僧の世界旅行」等のアート・ディレクションは鶴本が担当している。
主な作品

死の谷

TWINS

決闘写真論(共著中平卓馬

NUDE 篠山紀信

オレレ・オララ

晴れた日

スター106人

激写・135人の女ともだち

GEKISHA in HAWAI

神話少女栗山千明

女たちオキナワ

white room(本木雅弘

RIONA(葉月里緒菜

坂東玉三郎

シルクロード

建築行脚(共著は建築家磯崎新

シノラマ・ニューヨーク

Water Fruit樋口可南子

Santa Fe宮沢りえ

Tokyo Nude

少女革命

東京未来世紀

人間関係

アカルイハダカ

かでなれおん

JUMP & CRY(AKB48)

赤いスイートピー松田聖子

ダブル・ファンタジー』のジャケット写真ジョン・レノン&オノ・ヨーコ

週刊現代』では、三島由紀夫グラビアも撮影

隠花な被写体(小島可奈子

高岡早紀 写真集 one,two,three

菊地凛子×篠山紀信『RINKO』

写真展

TIME DIFFERENCE」 x Saki Takaoka in T&G ARTS六本木

「akarui & kurai hadaka」 in T&G ARTS(六本木)

「JUMP & CRY」x AKB48 in T&G ARTS(六本木)              

「陰花な被写体」x Kanako Kojima in T&G ARTS(六本木)           

FREE」x Sarara Tukifune in T&G ARTS(六本木)             

ヌードモデル



相原勇小原靖子名義)

蒼井そら

青山知可子

青山梨子

阿木燿子

雨宮かおる

綾瀬あずみ

飯沢もも

石井めぐみ

石田えり

石田夏子

市井静香

井上晴美

今野由愛

大竹しのぶ

荻野目慶子

小倉ありす



風野舞子

片岡礼子

かでなれおん

神谷沙織

香山聖

川上麻衣子

川村敦美

菊地凛子

北島優

岸本加世子

木村理恵

栗田ひろみ

栗山千明

黒澤愛

黒柳徹子

小島聖

小島可奈子

古都ひかる



坂上味和

桜朱音

里美ひな

さとう珠緒 当時の芸名は「珠緒」。

沢田和美

シェリーシェリー麗名義)

杉田かおる

瀬戸由衣



大輝ゆう

高岡早紀

高倉美貴(越沢美紀名義)

田中こずえ

月船さらら



中川瞳

中村久美

夏目ナナ

名取裕子

南波杏



長谷川いずみ

葉月里緒菜

林真理子

原紗央莉

原千晶

春菜まい

樋口可南子



水沢アキ

水元ゆうな

美保唯

宮沢りえ

本木雅弘

森下愛子



ゆき

山本奈津子