ソフィア・ローレンさん 優れた芸術の世界的な創造者たちを顕彰する「高松宮殿下記念世界文化賞」の第22回受賞者に選ばれる
優れた芸術の世界的な創造者たちを顕彰する「高松宮殿下記念世界文化賞」(主催・財団法人日本美術協会=総裁・常陸宮殿下)の第22回受賞者が14日、発表され、5部門で5人が受賞した。演劇・映像部門ではイタリアの国際的女優、ソフィア・ローレンさん(75)が選ばれた。女優が同賞を受けるのは初めてのこと。授賞式は10月13日、東京・元赤坂の明治記念館で行われる。
たぐいまれな美貌、存在感、演技力、ファッションセンス…。映画デビューから約60年、米アカデミー賞主演女優賞受賞から約50年たった今も、“イタリアの太陽”と称された輝きは健在だ。
スイス・ジュネーブの自宅にはオスカー像を含めトロフィーがズラリと並び、世界文化賞にふさわしい活躍の軌跡が浮き彫りになる。自宅で取材に応じたローレンさんは「やはり一番うれしかったのはオスカーの受賞よ」と胸を張った。
映画初出演は51年のハリウッド大作「クォ・ヴァディス」。エキストラのようなチョイ役だった。それからわずか10年後の「ふたりの女」でオスカーを獲得する。
そのスター街道には“ふたりの男”の存在が欠かせない。映画プロデューサーで夫となるカルロ・ポンティ氏と、「ふたりの女」監督のヴィットリオ・デ・シーカ氏だ。
ポンティ氏は駆け出しの無名女優に目をかけて次々と起用。グラマー派女優を演技派に磨き上げた。十数年の不倫交際を経て、ポンティ氏の離婚直後の66年に結婚。「人と適切な瞬間に出会うという幸運が必要。夫とはまさに適切な瞬間に出会うことができた」と恩人との出会いを振り返る。
デ・シーカ監督とは初めて組んだ「ふたりの女」以降、「ああ結婚」「ひまわり」など秀作を連発していく。「監督は深い確信をもって私を起用し、導いてくれた」。2人の間の深い信頼感、絆がうかがえる。
デ・シーカ監督は1974年、夫のポンティ氏は2007年に亡くなったが、ローレンさんのスター人生はとどまらない。02年には次男のエドアルド・ポンティ監督の映画「微笑みに出逢う街角」で出演作が通算100本目に。昨年の「NINE」でも貫禄の存在感を放った。
日本では1970年代にホンダ原付きバイクのCMで発した「ラッタッタ」のフレーズが有名。08年にはフジテレビ系「SMAP×SMAP」にも出演した。来月、授賞式で来日。10月14〜16日には東京・九段南のイタリア文化会館で出演作の上映会があり、舞台あいさつをする予定。太陽の輝きは衰えない。
■ソフィア・ローレン
1934年9月20日、イタリア・ローマ生まれ。母子家庭に生まれ、貧困の中で育つ。14歳のときに美人コンテストの最終審査に残ったことをきっかけにローマの俳優学校に進んだ。51年の映画「クォ・ヴァディス」の端役でデビューし、57年の主演作「島の女」などで国際的スターに。60年の「ふたりの女」でイタリア人女優で初の米アカデミー賞主演女優賞を獲得した。映画プロデューサーの故カルロ・ポンティ氏との間に、指揮者のカルロ・ポンティ・ジュニア(41)、脚本家兼監督のエドアルド・ポンティ(37)の2男がいる。
★ソフィア・ローレン
ソフィア・ローレン(Sophia Loren、1934年9月20日 - )はイタリアを代表する女優である。
本名 Sofia Villani Scicolone
生年月日 1934年9月20日(75歳)
出生地 ローマ
国籍 イタリア
活動期間 1950-
配偶者 カルロ・ポンティ(1966-2007)
受賞
アカデミー賞
主演女優賞
1961『ふたりの女』
1991 名誉賞
英国アカデミー賞
主演女優賞
1961『ふたりの女』
グラミー賞
Best Spoken Word Album for Children
2004『Prokofiev: Peter and the Wolf/Beintus』
ゴールデングローブ賞
1995 セシル・B・デミル賞
セザール賞
1991 名誉賞
その他の賞
ヴェネツィア国際映画祭 女優賞
1958『黒い蘭』
イタリアの首都であるローマで、ロミーダ・ヴィラーニとリカルド・シコローネの間に生まれた内縁の子であった。幼少時はナポリ近郊のポッツオーリで貧困の中成長し、1950年代初頭にヨーロッパ映画に端役として出演した。その当時の名前はソフィア・ラッツアーロであった。彼女は後の夫となるカルロ・ポンティに見いだされ、彼の制作する多くの映画に出演した。彼女の初期の主演作の1つは1953年の『Due notti con Cleopatra』であった。同作は他の初期主演作と同様に、彼女の肉感的な体を強調した作品であった。さらに幾つかの作品にはトップレスで出演した。それらの作品は当時のヨーロッパでは受け入れられたが、イギリスやアメリカではそのような場面はカットされた。
彼女は1951年にハリウッドの超大作『クオ・ヴァディス』に端役で出演したが、1957年の『島の女』が公開されると彼女は国際的スターと見なされるようになった。この作品において、彼女の水に濡れて体のラインが浮き立つシーンは象徴的であった。
彼女はその初期のハリウッド作品『楡の木蔭の欲望』(ユージン・オニールの演劇)、『月夜の出来事』(ケーリー・グラントとのロマンティック・コメディ)、『黒い蘭』(アンソニー・クインとのロマンチック・ドラマ)でセックスシンボルとしてだけではなく、演技力と喜劇的な実力をも証明した。
ケーリー・グラントとは恋愛関係にあったことを、のちに発表した自伝『生きて愛して』で公表した。
2009年1960年代までに、ソフィアは世界で最も人気のある女優のうちの1人としてハリウッドとヨーロッパの両方で作品に出演した。1960年の『ふたりの女』でアカデミー主演女優賞を受賞。同年公開の『求むハズ』では共演のピーター・セラーズとのロマンスが報じられた(彼女は否定している)。この作品のプロモーションでソフィアとセラーズは共にアルバムをレコーディングした。
ソフィアは喜劇王チャーリー・チャップリンの最後の監督作品『伯爵夫人』に出演したことがあり、マーロン・ブランドと夢の共演を実現した。この作品は、チャップリンが、赤狩りによってハリウッド及びアメリカから追放された後の作品で、イギリスで製作、公開されたがあまり知られていない。
長い間、妻のいるカルロ・ポンティとは不倫の間柄だったが、彼の離婚が成立した1972年に正式に結婚した。2人の息子がいる。ポンティの脱税容疑事件の後、ジュネーヴに住んでいる。事件でイタリア当局に没収されていたポンティ所有の絵画を、遺産として取り戻すとして裁判を起こした。
2006年、トリノオリンピックの開会式でオリンピック旗を掲揚する際の旗手を務めた。
SSCナポリの熱心なサポーターである。セリエA昇格が期待される2007年には「ナポリが昇格したらストリップショーを開いてもいい」と発言した。
日本における人気
日本の映画ファンにもローレンの人気は大きい。何度か来日もしており、日本のCMに出演したこともある。CMでローレンが発した『ラッタッタ』のキャッチフレーズで有名となったホンダ・ロードパルのCMなどが代表的である。過去の来日時には今川焼きがとても気に入ったそうである。また、俳優二谷英明とのツーショット写真(雑誌「平凡」より、カラー写真)も現存している。
またこの他1980年代初頭には、当時西日本限定で放送されていた『スタジオ2時』(毎日放送)に出演したことがある。当時この番組でコーナーの司会を担当していた浜村淳は、ローレンと向かい合って椅子に座った際、ローレンのバストの大きさについて説明したところ、Vの字にあいたドレスの胸元を覗き込もうとした浜村に、急にローレンが「Stand Up!」と叫び、スタジオ内が一瞬氷つく事態となったが、浜村はおとなしく立つと共に、ローレンは微笑むように「立てばもっと良くみえるわよ」と諭されて、事無きを得たという。ただしこの当時、ローレンは夫で映画プロデューサーのカルロ・ポンティと夫婦間で亀裂を生じており、極めて機嫌が悪い状態で、日本滞在中もホテルに戻る度に国際電話でポンティに対し、怒りを露にしていたという。
2008年にも来日し、イタリアの宝石ブランド「ダミアーニ」の銀座店のオープニングに登場したほか、4月21日、『SMAP×SMAP』(関西テレビ・フジテレビ)の「BISTRO SMAP」に登場した。日本語書籍は以下。
『ウーマン&ビューティ ソフィア・ローレンが書いた本』
ソフィア・ローレン、林冬子訳、近代映画社、1985年絶版
『ソフィア・ローレン 生きて愛して』
A.E.ホッチナー、講談社 、1979年絶版
『ソフィア・ローレン 華麗なる大輪のひまわり』
筈見有弘編、芳賀書店、1977年絶版
『ソフィア・ローレンのキッチンより愛をこめて あなたも作れるイタリア家庭料理』
ソフィア・ローレン、山崎明美訳 サンケイ新聞社出版局、1974年絶版
主な出演作品
クオ・ヴァディス - Quo Vadis(1951)
こんなに悪い女とは - Peccato che sia una canaglia / Too Bad She's Bad(1954)
ナポリの饗宴 - Carosello Napoletano(1954)
バストで勝負 - La Bella Mugnaia(1955)
河の女 - La donna del fiume(1955)
島の女 - Boy on a Dolphin(1957)
殿方ごろし - Pane, Amore e...(1957)
侵略者 - Attila(1958)
楡の木蔭の欲望 - Desire Under the Elms(1958)
月夜の出来事 - Houseboat(1958)
鍵 - The Key(1958) − キネマ旬報ベストテン第8位
黒い蘭 - The Black Orchid(1959)
私はそんな女 - That Kind of Woman(1959)
バラ色の森 - A Breath of Scandal(1960)
西部に賭ける女 - Heller in Pink Tights(1960)
ナポリ湾 - It Started in Naples(1960)
求むハズ - The Millionairess(1960)
ふたりの女 - La Ciociara(1960) − キネマ旬報ベストテン第6位
エル・シド - El Cid(1961)
昨日・今日・明日 - Ieri, Oggi, Domani(1963)
ローマ帝国の滅亡 - The Fall of the Roman Empire(1964)
レディL(1965)
アラベスク - Arabesque(1966)
伯爵夫人 -A Countess from Hong Kong(1967)
ひまわり - I Girasoli(1970)
ラ・マンチャの男 - Man of La Mancha(1972)
旅路 - Il Viaggio(1973)
逢いびき - Brief Encounter(1974)
カサンドラ・クロス - The Cassandra Crossing(1977)
特別な一日 - Una Giornata Particolare(1977)
プレタポルテ - Pret a Porter(1994)
微笑みに出逢う街角 - Between Strangers(2002)
NINE Nine (2009)
歴アカデミー賞主演女優賞: 受賞者 (1961-1980)
1961: ソフィア・ローレン | 1962: アン・バンクロフト | 1963: パトリシア・ニール | 1964: ジュリー・アンドリュース | 1965: ジュリー・クリスティ | 1966: エリザベス・テイラー | 1967: キャサリン・ヘプバーン | 1968: キャサリン・ヘプバーン/バーブラ・ストライサンド | 1969: マギー・スミス | 1970: グレンダ・ジャクソン | 1971: ジェーン・フォンダ | 1972: ライザ・ミネリ | 1973: グレンダ・ジャクソン | 1974: エレン・バースティン | 1975: ルイーズ・フレッチャー | 1976: フェイ・ダナウェイ | 1977: ダイアン・キートン | 1978: ジェーン・フォンダ | 1979: サリー・フィールド | 1980: シシー・スペイセク
★世界文化賞
58年間にわたり財団法人日本美術協会の総裁を務められた故高松宮殿下のご遺志を継ぎ、また協会創立100周年の記念事業として1988年に創設。国際顧問が主宰する各専門家委員会から推薦された絵画、彫刻、建築、音楽、演劇・映像の5部門の候補者を日本の選考委員会で検討し、理事会で決定する。1997年には「若手芸術家奨励制度」が設けられ、次代を担う芸術家の育成にも努めている。日本人では昨年までに演劇・映像部門で黒澤明氏、中村歌右衛門氏、坂田藤十郎氏、建築部門で丹下健三氏、安藤忠雄氏、槇文彦氏、谷口吉生氏、彫刻部門で三宅一生氏、絵画部門で草間彌生氏、杉本博司氏の10人が受賞している。