田中真紀子元外相は15日、高度経済成長の時代を振り返りながら、夫の直紀参院議員と一緒に民主党への入党を表明

8月15日18時12分前衆議院議員田中眞紀子外務大臣と、夫の田中直紀参議院議員が、民主党にそろって入党し、このうち田中元外務大臣は、今度の衆議院選挙に新潟5区から民主党の公認候補として立候補することになりました。
田中真紀子 youtube

新潟5区には、田中氏のほか、▽自民党の新人、米山隆一氏、▽社民党の新人、伊部昌一氏、▽幸福実現党の新人、笠巻健也氏が立候補を予定しています。これは、民主党鳩山代表と、田中元外務大臣、それに夫の田中参議院議員が、新潟県長岡市でそろって記者会見して明らかにしたものです。この中で鳩山代表は、14日付けで2人が民主党に入党するとともに、田中元外務大臣を新潟5区の公認候補としたことを明らかにしました。また、田中元外務大臣は「無所属で活動してきたが、有権者に約束したことを実現するには、組織にいなければならないと強く感じた。民主党とは政策面で連携できる場も多く、入党を決断した」と述べました。新潟5区には、田中氏のほか、▽自民党の新人、米山隆一氏、▽社民党の新人、伊部昌一氏、▽幸福実現党の新人、笠巻健也氏が立候補を予定しています。田中元外務大臣は、平成14年に衆議院議員を辞職したあと、自民党を離党しました。そして、平成15年の衆議院選挙で無所属で当選したあとは、民主党と無所属の議員で作る会派に参加しており、田中参議院議員は、去年、自民党を離党し、無所属で国会活動を行っていました。

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「我々はあの時代の政治家ではない。時代は変わった」。田中真紀子元外相は15日、高度経済成長の時代を振り返りながら、夫の直紀参院議員と一緒に民主党への入党を表明した。故角栄元首相を父に持ち、自民党の象徴ともいえた「田中家」のくら替えは、2大政党時代が到来した中、自民党が置かれた厳しい状況を象徴するものともいえそうだ。




 「確実に2大政党になる。有権者に約束したことを実現するには、1人や少人数ではできない。組織にいなければならないと強く感じた」


 真紀子氏は、民主党入りの理由をこう語った。18日公示の総選挙で新潟5区から立候補予定の真紀子氏は、同党公認となる。


 同党は今月5日に真紀子氏の推薦を決めたばかり。真紀子氏は10日に鳩山代表の事務所を訪れ、入党の意向を伝えたという。鳩山氏は、党三役の了解を得たとしている。


 鳩山氏は「政治家として発信力の強い方。党が訴えていく政策を2人から発信していただける」と歓迎した。


 鳩山代表の祖父、故一郎氏は初代の自民党総裁だった。その党で故角栄元首相は「利権の象徴」とされた。後に、民主党が批判する道路特定財源や大型公共事業は角栄氏が推し進めたものだ。それぞれ孫、娘にあたる鳩山代表と真紀子氏が、民主党で共に政権交代を目指す。鳩山氏は「祖父も私の行動を認めてくれたのではないか」と話した。


 真紀子氏は93年の衆院選に無所属で当選。自民党で外相などを務めたが、02年8月、秘書給与流用疑惑で議員辞職した。03年11月の衆院選に無所属で当選した後、民主会派入りした。


 一方、直紀氏は、改選を迎える来年7月の参院選については「まだ先のこと」とし、明言しなかった。


■「驚きないが残念」自民県連幹事長
田中真紀子、直紀両氏の民主党入りについて、自民党新潟県連の渡辺惇夫幹事長は15日、「予想されたことで、驚きはない。ただ、県内の自民党議員の中には田中角栄元首相の下で勉強した政治家も多い。今回の民主党入りは残念。自分の政治信条に基づいた行動だと思うが、もし角栄元首相が生きていたら、真紀子氏の行動を残念に思ったのではないか」と話した。
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★田中 眞紀子(たなか まきこ、1944年(昭和19年)1月14日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。科学技術庁長官(第54代)、外務大臣(第130代)を歴任。実父は元内閣総理大臣田中角栄。夫は参議院議員田中直紀



来歴
早稲田大学第一商学部に在学中、大学の演劇サークルに所属、同期に久米宏長塚京三がいた。大学卒業後は劇団雲に所属し、女優として舞台に出演するが、結婚を機に引退。母が病弱であったことや、高校時代のアメリカ留学経験もあり、父・角栄が首相在任中は事実上のファーストレディーの役目を担った。血液型はAB型。



1993年の衆院選で初当選、翌94年に1年生議員ながら科学技術庁長官として初入閣して話題を呼んだ。その後も国民的な人気を保ったが、与党内野党的な自由な立場からの奔放な発言が人気の源泉であり、政治家として目立った実績を残したわけではなかった。



しかし2001年の小泉内閣誕生に際しては総裁選での応援を買って出るなど大きく寄与、自ら外相に就任して異例の高支持率を獲得。実務においては様々なトラブルを引き起こし、外交が機能不全に陥るほどだったが、人気は衰えなかった。



ターニングポイントとなったのが2002年の事務方との対立に起因する外相更迭であり、当時は世論の圧倒的多数が更迭に反対して田中を支持、小泉内閣の支持率が一時的に急落するほどであった。しかし直後に自らの秘書給与問題が浮上し、議員辞職に追い込まれる[1]。2003年衆院選で復帰し、会派・無所属クラブの構成員として民主党と統一院内会派民主党・無所属クラブ」を結成。以前に所属していた自民党に対して厳しい批判を繰り返しているが、下野したこともあってマスコミに発言が注目されることも少なくなった。



衆院選を目前に控えた2009年8月15日、新潟県長岡市内で記者会見し、夫の田中直紀参議院議員とともに民主党入りを表明。民主党入りの理由について「確実に二大政党(の時代)になる。有権者に約束してきたことを実現するためには、組織に所属しなければならない」と述べ、選挙後の入党という選択肢については「それでは有権者に対して失礼」と否定した。鳩山由紀夫民主党代表は「夫婦そろっての民主党入党を心から歓迎する」と述べた[2][3]。





人物像
父の角栄から受け継いだタレント性によって、政治の動きを面白おかしく発言をする。選挙民を前に自分の言葉で率直に話すが、論理的な政策批判や自己の信念に基づく理念・政策を欠いているとの指摘がある。政治の世界に舌戦はつきものだが、他の政治家に比べても田中の発言は単なる「悪口」や人格への「中傷」が際立って多く、批判が多い。テリー伊藤ビートたけしは、眞紀子のことを「政治漫談家」と呼んだ。政治家に必要な確固たる理念・政策や、組織をまとめながら引っ張っていくリーダー性、説得をして自己の政策に賛同させてゆく力量に欠けており、その様な部分に関して三宅久之からは、「未熟な女」と酷評されている。



新潟県中越地方の企業越後交通グループのオーナーである。眞紀子の選挙においては、バス会社である越後交通の各営業所は、選挙の情報収集や票固めと言った役割を果たすことになる。これらは父の角栄が築いたものであり眞紀子はそれを継承した。なお、同社では角栄を「大先生」と呼んでおり、営業所に写真も掲げられているという。



眞紀子の人の好き嫌いは父の角栄の存在の影響が非常に大きく、父を裏切った竹下登の旧経世会に連なる人間を憎んでいるとされる。統一会派を組んでいる民主党の議員に対してすら、攻撃することがある。父との関係が比較的悪くなかった小沢一郎には好意的で、小沢が民主党代表だった時は「小沢氏を首相にする」と支援姿勢を鮮明にしていた。



内閣及び自らの方針に抵抗する官僚を更迭し、政治主導の動きを作ろうとした。





エピソード

えひめ丸曳航作業を視察する外務大臣田中眞紀子

日本の内閣の方針と合わない言葉を公言

2001年4月26日に外相に就任。日本政府の閣議ミサイル防衛構想について反対の立場を決めたことはないのにも関わらず、眞紀子はアメリカ合衆国アーミテージ副長官との会談でミサイル防衛構想への批判を公言した。しかし、彼女の発言は日本の政策転換とは受け止められなかった。