“理想の母親”を選ぶ「第3回ベストマザー賞」になぜか蓮舫が選ばれる

さまざまな分野で活躍する女性の中から“理想の母親”を選ぶ「第3回ベストマザー賞」(NPO法人日本マザーズ協会主催)の授賞式が東京都内で開かれ、受賞した蓮舫参院議員ら5人が出席した。



 選ばれたのは蓮舫議員(政治部門)のほか、スポーツコメンテーターの小谷実可子さん(スポーツ部門)、フリーアナウンサー久保純子さん(文化部門)、女優の江角マキコさん(芸能部門)、歌手の森高千里さん(音楽部門)。



 中学1年生の双子の母親である蓮舫議員は「母親より仕分け人の印象が強いものですから、こういう賞をいただいて本当にいいのだろうかと思います」と戸惑いつつも、「立派に育ってくれた子どもたちに心から感謝したい」とスピーチ



 家庭で子どもの小遣いを仕分けしているのかとの質問には「夫の小遣いを仕分けすることはあっても、子どものはありません」と、いつもの厳しい表情とは違う優しい笑顔で話していた。




蓮舫(れんほう、1967年11月28日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)。本名は村田 蓮舫(むらた れんほう)。旧姓斉藤(さいとう)。多重国籍当時の姓は謝。政治家出前には、グラビアアイドルテレビ司会者キャスター、女優を経験した。



来歴

台湾人で、主に日本の企業との間で貿易業を営んでいた父:謝哲信と、日本人で、「ミス資生堂」と称された母:斉藤桂子長女として誕生した。



青山学院幼稚園青山学院初等部中等部高等部を経て、青山学院大学法学部公法学科卒業。



実兄も青山学院出身であり、俳優の松田洋治は、青山学院小・中・高・大学の同級生であることで知られる。



1985年に改正された日本の国籍法が「父母両統主義」であるため、国際結婚によって国籍の異なる両親から日本国内で出生した蓮舫は、同年の法改正以降台湾(中華民国)籍および日本国籍の両籍を保有することとなった。法改正以前を含め、中等部・高等部在学中においては、父方の姓を用いて「謝蓮舫」を名乗り、高校在籍中および青山学院大学進学初期に、「謝蓮舫」名義で芸能活動を行っていた。



その後、改正国籍法が定める、本人の意思で国籍を選択し多重国籍状態を満22歳までに解消する義務規定により、青山学院大学進学に際して18歳時に自身の生活基盤である日本国籍を選択、同時に母方の姓を用いて「斉藤蓮舫」に改めている。その後は、対外的に改姓による混乱を避ける目的で、もっぱら名のみの「蓮舫」で芸能活動を展開した。なお、この場合は「国籍選択」(多重国籍の日本人が日本国籍だけを残し他の国籍を破棄する、など)に該当するため「帰化」(外国人日本国籍を取得する、など)したわけではない。しかし、ウェブサイト上などではわかりやすさを優先するためか、「改正戸籍法に基づく国籍選択」と表現せず「帰化」したと表現することもある。



なお、本来日本語の読みでは、同音源の「連邦」と同様「れんぽう」と発音すべきところであるが、戸籍届出上の音名(あくまで口頭で伝達するのみで、籍簿にフリガナが掲載されるわけではない)が「れんほう」であったため、本人は学生時代から「れんほう」という読みを名乗って久しく、著名となってからもそれが広く社会的に認知されている。



1993年、フリーライター村田信之と結婚。媒酌人高野孟



1995年から1997年にかけて、北京大学漢語中心(中国語センター)に留学。



1997年に双子(長男=琳(りん)、長女=翠蘭(すいらん))を出産。自身の出産・育児の経験を通して得た少子化問題についての関心も深く、しばしば言及することがある。



政治家

手塚仁雄の誘いで2004年7月、民主党から参議院議員選挙出馬東京都選挙区:定数4)。比例代表新人の吉田公一との連動で、同じ東京選挙区民主党現職小川敏夫と共に当選を飾った。

同年8月、台湾を訪れ、陳水扁総統らと会見民主党が政権を取得したら日台関係はより密接になると語り、台湾の独立を支持する発言を行なって現地で話題になった。

2007年9月には、年金問題を担当している民主党長妻昭からの要請で、ネクスト年金担当副大臣に就任した。

政治家として非常に勉強家であり、膨大な量の資料で、議員会館の部屋が埋め尽くされていることは有名である。
外国人参政権人権擁護法には慎重な姿勢を見せており、櫻井よしこ民主党勉強会で外国人参政権に反対する意見を述べた際には、共感の意を示している。

2009年11月13日、民主党政権下に内閣府が設置した事業仕分け (行政刷新会議)の文部省予算仕分けの際に蓮舫議員は日本の次世代スーパーコンピュータへの予算編成に対し「世界一を目指す理由は何か。2位ではだめなのですか」と発言し、次世代スーパーコンピューターへの予算編成削減を決めた。この発言について、ノーベル賞フィールズ賞受賞者5人の科学者が記者会見で批判し、中でも野依良治は、「全く不見識であり、将来、(蓮舫を含む仕分け人は)歴史という法廷に立つ覚悟はできているのか」と述べ[2]、利根川進も「“世界1である必要はない”と語った人(=蓮舫)がいるが、1位を目指さなければ2位、3位にもなれない」と続き[3]、鳩山由紀夫総理へ次世代スーパーコンピューターへの予算編成を行うべきだと直談判した。また、東京都知事石原慎太郎は「文明工学的に白痴的」「技術に関してはあの発言は論外」と批評した[4] 。本人は後日、「1位を目指すのは当然で、あえてそう聞くことにより納得のいく答弁が聞けるかと思ったが、残念ながら聞けなかった」という趣旨の発言をしている一方、「我々は削減するとは決めていない」と明言した。渡辺恒雄事業仕分けに言及し、蓮舫を非難した。

平沼赳夫事業仕分けと共に蓮舫を差別的表現を用いて批判した。

この発言が一人歩きし、蓮舫に似た仕分け人が役人をマイクで殴るという携帯電話ゲームにまで登場し、2009年12月27日放送の「真相報道 バンキシャ!」に生出演した際にこのゲームが紹介され「私は役人の人を(マイクで)殴ったりしませんから」と苦笑いしながら答えた。

2009年12月6日、都内において開催された「マザーズセレクション大賞」授賞式に、特別ゲストで登場した際に、「家計も仕分ける?」の質問に対して「仕分けられないくらい、我が家は最初から圧縮している」と発言した。しかし直後に、「私が仕分けるのは国の事業。家庭や子供のことは、なるべく仕分けないようにしている」と発言している。

twitterユーザーで、政治活動から私生活までの出来事を投稿しており、蓮舫のフォロワーは5万人を超えている。

2009年12月下旬頃、ホームページデザインTwitter風に変更し話題を呼んだが[10][11]、一部ブログなどでは著作権に対する指摘がなされた。[12]、このデザインは元々、現ホームページデザインに変更する前に7日間限定での公開であった。2010年1月1日より現ホームページデザインへリニューアルした。

2009年12月29日、twitter上で『イナズマイレブン2』の改造コードの導入方法を他のユーザーに質問する内容のつぶやきを発信した。後にフォロワーに「マジコン使ってるのですか?著作権大丈夫ですか?」と質問されると息子に説教をしたことを明かした。なお、これら発言は蓮舫側が削除したものの、発言に対して多くのツイッターユーザーにリツイート(引用して発言)された。その後、使用機器は「プロアクションリプレイ」だったと説明したが、息子を謂われなく説教したことについては釈明していない。

所属議員連盟

民主党日韓議員交流委員会

日中友好議員連盟

日中21世紀の会

事務所費問題

2010年1月4日発売の週刊ポスト(2010年1月22日号)において、「政党交付金使途報告書記載の「事務所経費」(賃借料)について、支払先についてはまったく記載がなく、同報告書に記載されている住所は、蓮舫の自宅(名義は同居している蓮舫の母親)だった。自宅に事務所の表札はなく、架空の賃貸料を報告しているのではないか、自宅のローンを税金で返済しているのではないか、との疑惑が報じられた[20]。週刊ポスト取材に対して、「使途等報告書に記載した通り、法律に則り適正に処理しています」とのFAX回答のみで、詳細については説明を拒否した。野党時代、今回の自身の問題と類似した自民党議員の事務所費問題では、「金額は問題ではない」と厳しい追及の先頭にたっていたほか、「野党第一党代表が自らの事務所費を公開し、党内にはお金の使われ方の透明化を進めていることから、与党所属議員と内閣大臣は積極的に情報公開をし、政治と金の不信を取り去るべきではないかと考えます。」と述べていた[21]。これに対し、本人は、「誤解に基づく記事で全く問題ありません。賃借料として計上しているのは、公務で使っている車の駐車場コピー機リース料などなんです。いずれも5万円に満たないものだったので支出先は記載していませんが、当時の法律で公表義務のあった5万円以上の支出先はすべて公表しています。つまり賃借料(事務所費)に家賃計上しているわけではないので『事務所費疑惑』で問題になったケースにもあたりません。家賃は別の項目できちんと報告書に記載しています」と週刊朝日2/5増大号で林真理子と対談した際に話している。

タレント活動概略

音響機器メーカーキャンペーンガール、「1988年度クラリオンガール」として青山学院大学在学中に芸能界にデビューした。なお、大学時代に両親に車が欲しいと頼んだが買ってもらえなかった。クラリオンガールの応募理由は、自分が欲しかった車(日産フェアレディZ)の金額が優勝賞金と同額であったためである。見事グランプリを受賞し、車も購入した。



当初は日本テレビバラエティ番組などを中心に活動していた。1993年、テレビ朝日報道番組ステーションEYE」の司会に抜擢されて以降、ジャーナリスト活動も活発となった。しかし、当時の「大和銀行」を本来の読みの「だいわぎんこう」ではなく「やまとぎんこう」と発言するなど不見識も目立った。なお阪神・淡路大震災の際には現場から約一週間レポートを行っていた。



エピソード

一時期、「なまいき蓮舫」として親しまれた。金谷ヒデユキ黒猫のタンゴ替え歌ネタにしていた事がある。

1990年頃日本テレビ系スーパージョッキー』のアシスタント司会に抜擢されたが、メイン司会者ビートたけしから「はすぶね」や「ふなかた」などと名前をいじられた。

1991年頃フジテレビ北野ファンクラブ』のスタジオに乱入。たけし、高田文夫らから暴言を吐かれる。特に当時彼女がテレビCMをしていたサッポロビールラベルの話になると暴言はエスカレートしていった。その際、「歴代クラリオンガールで最も写真集が売れなかったのは蓮舫です。」とたけしにネタにされた。

3時にあいましょう』の司会を務めていた時代に同じスタジオで収録されていた長寿番組料理天国」にゲスト出演した際、自分が司会・キャスター業を目指したきっかけとなった人物として、タレントとして同番組の司会であった芳村真理の名を挙げて以来、芳村とは親密な間柄となっている。

北京大学に留学中、台湾や日本を馬鹿にする中国の教授に真っ向から食って掛かったことがある。

出演
写真集

「Ren Ho」 (ワニブックス、1988年)

ビデオ

ナチュラル妖精誕生 - Ren Ho」 (クラリオンソフト、1987年)

テレビラジオ番組 [編集]

セーラー服通り 1986年1月〜1986年3月(TBS系

君の瞳をタイホする! 1988年(フジテレビ

IKE IKE CLUB

合コン!合宿!解放区! 1990年5月〜1991年3月(朝日放送

クイズおもしろTV 1990年8月〜9月 アシスタントテレビ朝日系

桂三枝のにゅーすコロンブス 1990年10月〜1991年3月(朝日放送、2代目サブキャスター)

マジカル頭脳パワー!! 1991年3月〜1992年3月に参加(日本テレビ系

ヒットパレード'90s 1991年4月〜1991年10月(フジテレビ)

3時にあいましょう 1991年4月〜1992年9月(TBS系)

徹子の部屋 1991年、1995年、1997年、2002年 ゲストテレビ朝日系)

次男次女ひとりっ子物語 1991年10月〜12月(TBS系)

スーパーワイド 1992年10月〜1993年3月(TBS系)

ステーションEYE 1993年4月〜1995年10月(テレビ朝日系)

BATTLE TALK RADIO アクセス 2003年1月〜2004年3月(TBSラジオ

スーパージョッキー日本テレビ系)

水曜プレステージテレビ朝日)(飯星景子、矢吹藍子との共同司会 その後 高市早苗田中綾子らと)

ニュースに挑戦!あなたの常識(テレビ東京クイズ番組のアシスタント 司会:生島ヒロシ

みのもんたのサタデーずばッと(TBS)

企業広告

NTT(1988年頃)

京阪電気鉄道(1989年秋〜1991年秋)

サッポロビール「黒ラベル