小林 桂樹(享年86)死去、司葉子(76歳)「本当に寂しいです…」と声を振り絞った。唯一関西弁が苦手だったという

喜劇から社会派まで幅広く人間味溢れる演技でファンを魅了した俳優、小林桂樹さん(享年86)の死去を受けて18日、小林さんとゆかりのある人々サンケイスポーツに追悼コメントを寄せた。代表作の1つ「社長」シリーズで夫婦役を演じた女優、司葉子(76)は「本当に寂しいです…」と声を振り絞った

司は静養中の長野・軽井沢で訃報を知った。サンケイスポーツの電話取材に、「午後4時ごろに事務所からの電話で知って…。突然でビックリしました。本当に寂しいです」と肩を落とした。



 小林さんと最後に会ったのは、成瀬巳喜男監督(享年63)の命日に行う昨年7月2日の俳優の集会で。小林さんは次回作の話をするなど仕事に意欲を見せていたが、今年の集会は欠席したため心配していたという。



 社長シリーズ初回作「へそくり社長」(1956年)から小林さんの恋人役で出演。20作目の「社長紳士録」(64年)で結婚し、妻役として最終作「続社長学ABC」(70年)まで共演した。




 「小林さんは俳優の職人のような人。プロの中のプロで、真面目で役柄そのものになりきっていた。現場ではいつも笑いの中心にいて明るく楽しい人。演技で悩んだときも助言をくれたり、夫婦のシーンをあうんの呼吸で、安心して任せられました」と懐かしんだ。



 また、幅広い役柄を演じることで知られた小林さんだが、唯一関西弁が苦手だったという。1961年の映画「小早川家の秋」で共演した際に、「何でもできる職人が『これだけは苦手』と関西弁に四苦八苦されていて。苦労されている姿が珍しくて面白かった」と振り返り、「楽しい思い出をありがとうございました。ゆっくり休んでください」と悼んだ。


★こばやし けいじゅ

小林 桂樹

生年月日 1923年11月23日

没年月日 2010年9月16日(満86歳没)

出生地 日本・群馬県群馬郡室田町

民族 日本人

血液型 B型

職業 俳優

ジャンル 映画・テレビドラマ・舞台

活動期間 1942年 - 2010年

主な作品

『社長シリーズ』

裸の大将

黒い画集

『あるサラリーマンの証言』

椿三十郎

江分利満氏の優雅な生活

受賞

ブルーリボン賞

主演男優賞

1964年『われ一粒の麦なれど』

その他の賞

毎日映画コンクール

男優主演賞

1958年『裸の大将』

1960年『黒い画集』

1963年『白と黒』、『江分利満氏の優雅な生活

1999年『あの、夏の日 とんでろ じいちゃん』

男優助演賞

1955年『ここに泉あり』

日本映画記者会賞

最優秀男優賞

小林 桂樹(こばやし けいじゅ、1923年11月23日 - 2010年9月16日)は、日本の俳優。群馬県群馬郡室田町(現・高崎市)出身。旧制群馬県立前橋中学校卒業、日本大学門部芸術科中退。サラリーマン喜劇から社会派ドラマまで幅広く活躍した。
来歴・人物

父親が警察官という家庭に生まれる。桂樹の名はオリンピックの勝利のシンボル月桂冠のもととなる月桂樹にちなんで命名したという。1934年に前橋市立桃井小学校を卒業、宇都宮の陸軍幼年学校を受けるが不合格となり県立前橋中学校に進学。芝居や映画は元々好きであったが、在学中は友人からよく映画などに誘われてもきちんと校則を守り、一度も映画館に足を運ばなかったというまじめ人間だった。しかし中学4年の時に父親が病死したため、千葉県市川市に住んでいた伯父を頼って一家が引っ越し、桂樹のみ父親の同僚の家に下宿して通学する。前橋中を準卒業という形で出て、その後は日本大学門部芸術科(現在の日本大学芸術学部)に進むも学費が払えぬようになり、1941年に中退する。



大学時代にアルバイトで伯父の勤めていた朝日新聞社検閲部の給仕を勤め、津村秀夫飯沢匡などの映画評論家や映画記者と接するうちに映画の世界に憧れを持つようになる。平凡なサラリーマンにはなるまいと思い、相談した伯父からは自分の好きなことをやれと勧められ、また給仕仲間から一緒に役者にならないかと誘われる。日活東宝松竹入社試験を受け、唯一学歴を問わなかった日活へ入社、日活演技研究所の研究生となる。1942年に『微笑の国』の工員役でデビューし、さらに3作品に出演する。翌1943年に日活の製作部門が新興キネマ大都映画と合併し新会社大日本映画製作株式会社となり、自動的に専属となる。ここでは『菊池千本桜』の松尾大尉役で主演するが、8月に徴兵検査を受けて甲種合格となり、12月に召集される。



終戦により復員後は1946年の『君かと思ひて』でスクリーンへ復帰、折原啓子の恋人を演じ二枚目として売り出す。1951年には急遽出演出来なくなった千秋実代役として『その人の名は言えない』に主演したことがきっかけで、二枚目でも三枚目でもない独自の演技が周囲に認められ始め次第に頭角を現す。その後同年に東宝のサラリーマン物『ホープさん』で主役を務め、その明朗快活さで注目され、翌1952年に藤本真澄の誘いで東宝と契約。源氏鶏太原作の『三等重役』から、引き続き森繁久弥が主役を演ずる『社長シリーズ』(1956年〜1971年)の全てに出演。真面目で頑なな秘書役など、平凡で健全な一般庶民を演じて人気を得た。



1955年に今井正監督の『ここに泉あり』で毎日映画コンクール助演男優賞を受賞、さらに1958年には出演百本記念映画として制作された『裸の大将』で実在の画家・山下清を演じ、同映画コンクール主演男優賞に輝く。知恵遅れ馬鹿にした映画だと一部からは非難されたが、劇中でのどもりながらの台詞「兵隊の位にすると…」は流行語になった。



1960年に『黒い画集・あるサラリーマンの証言』、1961年には松山善三の監督デビュー作『名もなく貧しく美しく』に主演し、喜劇のみならずシリアスなドラマでも活躍、特に『黒い画集』ではキネマ旬報男優賞、ブルーリボン大衆賞、毎日映画コンクール主演男優賞と、各映画賞を総なめにした。1963年には岡本喜八監督、山口瞳原作の『江分利満氏の優雅な生活』で戦中派の中年サラリーマンを演じ、毎日映画コンクール主演男優賞、日本映画記者会賞最優秀男優賞を受賞する。『裸の大将』や『黒い画集』などで小林と長く接してきた堀川弘通監督に「きわめて平凡な人間の姿から非凡な演技がほとばしり出るかけがえのない俳優」と評される。



しかし、映画界が衰退の一途を辿り始めた1964年頃からは小林に向く企画が減り始め、植木等の無責任男や加山雄三若大将の台頭もあって次第に小林の演じる庶民像は時代とのズレが目立ち、批評家からは戦前の古いモラルの殻から抜け切れず、戦後の時代になってもそれを背負って生きている、良くも悪くも戦中派の代表格と評されるようになる。この頃からテレビの出演が増え始め、その明るいキャラクターから1966年にはTBSの『おはよう・にっぽん』の司会者に抜擢されるも視聴率が上がらず降板する。



1973年、小松左京原作のベストセラー小説を映画化した『日本沈没』では、日本の危機を示唆する田所博士役を演じ、特にテレビ出演のシーンでは鬼神に迫る演技で撮影スタッフを驚かせた。翌1974年から放送されたテレビドラマ版『日本沈没』でも引き続き同役を演じて好評を得た。1983年にはフジテレビの『森田一義アワー 笑っていいとも!』のテレホンショッキングに出演。1984年には9年ぶりに復活した『ゴジラ』で三田村清輝内閣総理大臣役を演じた。



テレビ朝日の『牟田刑事官事件ファイル』では1983年の第1話から2007年の最新話まで主役を務めているが、NHK金曜時代劇山田風太郎からくり事件帖〜警視庁草紙より〜』出演期間中の2001年に緊急入院するなど健康状態が危ぶまれた。晩年はツーカーの「ツーカーS」のCMに出演していた。



アニメーション作品では、ウォルト・ディズニーの『わんわん物語』で主人公・トランプスタジオジブリ制作の映画『耳をすませば』で「地球屋」の主人・西司郎(主人公の恋人の祖父)を演じた。



甥のさいとうあきひこはNHKステージ101』にヤング101メンバーとして出演し、音楽活動を続けていた。



2010年7月に軽症肺炎で東京都内の病院に入院して以後は療養生活を送っていたが、9月16日午後4時25分、東京都港区の病院で心不全のため死去[1]。86歳没。



2009年11月20日森繁久彌の葬儀に参列したのが公の場での最後の姿となった。遺作は2009年公開の『星の国から孫ふたり』(園長先生役)であった。

NHK連続ドラマ小説の現・新ヒロインによるバトンタッチのセレモニー松下奈緒が瀧本美織を激励

 NHK連続テレビ小説ゲゲゲの女房」でヒロインを演じた松下奈緒が、大阪市のNHK大阪放送局で収録中の「てっぱん」の現場を訪れ、お好み焼き店を開業するヒロインを演じる瀧本美織を激励した。



 松下は、劇中で「似ている」と言われた妖怪「一反木綿」のクッションをプレゼント瀧本お好み焼きを返すコテを贈った。



 バトンタッチを終えた松下は「長丁場だけど、いろんな人とたくさん話して悩みを相談すれば、毎日が変わります」とアドバイス。18歳の瀧本に「誰もができる体験ではないので、若いうちに経験できるのはうらやましい」と語り掛けた。



 「先輩、ありがとうございます」と元気よく応じた滝本は、「大変な中でも毎日笑顔で撮影しているので、この調子で頑張っていきたいと思います」と意気込みを語った。



 「ゲゲゲの女房」は25日に最終回を迎え、27日から「てっぱん」がスタートする。

■ NHK連続テレビ小説ゲゲゲの女房」でヒロインを演じた松下奈緒が、大阪市のNHK大阪放送局で収録中の「てっぱん」の現場を訪れ、お好み焼き店を開業するヒロインを演じる瀧本美織を激励した。

 松下は、劇中で「似ている」と言われた妖怪「一反木綿」のクッションをプレゼント瀧本お好み焼きを返すコテを贈った。

 バトンタッチを終えた松下は「長丁場だけど、いろんな人とたくさん話して悩みを相談すれば、毎日が変わります」とアドバイス。18歳の瀧本に「誰もができる体験ではないので、若いうちに経験できるのはうらやましい」と語り掛けた。

 「先輩、ありがとうございます」と元気よく応じた滝本は、「大変な中でも毎日笑顔で撮影しているので、この調子で頑張っていきたいと思います」と意気込みを語った。

 「ゲゲゲの女房」は25日に最終回を迎え、27日から「てっぱん」がスタートする。

NHK連続ドラマ小説の現・新ヒロインによるバトンタッチのセレモニーが17日、NHK大阪放送局大阪市中央区)であり、25日で終了する「ゲゲゲの女房」(東京制作)の松下奈緒さん(25)と27日スタート「てっぱん」(大阪制作)の瀧本美織(みおり)さん(18)が顔を合わせた。松下さんは「長い中にも、誰もが体験できないことが体験できると思います。つらいことがあったら誰にでも話せるようにコミュニケーションを取って頑張ってください」と瀧本さんにアドバイス。瀧本さんは「先輩、ありがとうございます」とあいさつし、「大変な中にも楽しい気持ちがあって、毎日笑顔で撮影ができてます。この調子で頑張ります」と話した。

 松下さんから瀧本さんには「一反木綿」のビーズクッションがプレゼントされた。「長い収録はストレスがたまるので、満タンになったらこの一反木綿を見て松下奈緒思い出して、前のヒロインも何とか長丁場を乗り切ったんだと励みにしてください。本当に眠る時間がないですから」と松下さん。一方、瀧本さんはてっぱん料理に欠かせない「コテ」をプレゼント。松下さんは「私、家で料理をするので、早速使いますね」と喜んでいた。



「てっぱん」は朝ドラ83作目で、尾道広島県)生まれの村上あかり(瀧本さん)が主人公。ひょんなことから大阪でお好み焼き屋を開業することになったあかりの奮闘ぶりを描く。富司純子(ふじ・すみこ)さん、安田成美さん、遠藤憲一さん、ともさかりえさん、神戸浩さん、柳沢慎吾さん、尾美としのりさん、川中美幸さん、赤井英和さん、柏原収史さん、竜雷太さんらが脇を固める
瀧本 美織 CMNG編 Youtube


NHK連続ドラマ小説の現・新ヒロインによるバトンタッチのセレモニーが17日、NHK大阪放送局大阪市中央区)であり、25日で終了する「ゲゲゲの女房」(東京制作)の松下奈緒さん(25)と27日スタート「てっぱん」(大阪制作)の瀧本美織(みおり)さん(18)が顔を合わせた。松下さんは「長い中にも、誰もが体験できないことが体験できると思います。つらいことがあったら誰にでも話せるようにコミュニケーションを取って頑張ってください」と瀧本さんにアドバイス。瀧本さんは「先輩、ありがとうございます」とあいさつし、「大変な中にも楽しい気持ちがあって、毎日笑顔で撮影ができてます。この調子で頑張ります」と話した。



 松下さんから瀧本さんには「一反木綿」のビーズクッションがプレゼントされた。「長い収録はストレスがたまるので、満タンになったらこの一反木綿を見て松下奈緒思い出して、前のヒロインも何とか長丁場を乗り切ったんだと励みにしてください。本当に眠る時間がないですから」と松下さん。一方、瀧本さんはてっぱん料理に欠かせない「コテ」をプレゼント。松下さんは「私、家で料理をするので、早速使いますね」と喜んでいた。



 「てっぱん」は朝ドラ83作目で、尾道広島県)生まれの村上あかり(瀧本さん)が主人公。ひょんなことから大阪でお好み焼き屋を開業することになったあかりの奮闘ぶりを描く。富司純子(ふじ・すみこ)さん、安田成美さん、遠藤憲一さん、ともさかりえさん、神戸浩さん、柳沢慎吾さん、尾美としのりさん、川中美幸さん、赤井英和さん、柏原収史さん、竜雷太さんらが脇を固める



★瀧本 美織(たきもと みおり、1991年10月16日 - )は鳥取県鳥取市出身の女優、タレントスターダストプロモーション所属。鳥取敬愛高等学校卒業。東京都内の大学に在学中(大学名は非公表)。



プロフィール

身長162cm。靴のサイズ23cm。血液型O型。視力は両目ともD(0.3未満)。趣味は歌とダンス

特技 バトントワリング短距離走

略歴

小学生の頃から芸能界に興味を持ち、地元からダンススクールなどに通うため度々上京し、芸能活動をスタート。

2003年8月、エイベックス所属のヴォーカルダンスユニットSweetSメンバーとして芸能界デビュー。2006年8月にリリースしたベストアルバムを最後に同グループは解散。その後早稲田アカデミーのCMに出演。

2008年、スターダストプロモーション芸能3部に移籍

2010年、映画『彼岸島』で女優デビュー。

現在は仕事やレッスンの度に上京している。

2010年2月、同年度下半期のNHK連続テレビ小説『てっぱん』の主役に起用されることが決まった。瀧本初のテレビドラマ出演であると同時に、大阪放送局製作の朝ドラヒロインとしては初めての平成生まれの起用となった。さらに1990年代生まれ初の朝ドラヒロインでもある。



出演

映画

彼岸島(2010年) - ユキ

食堂かたつむり(2010年)

テレビドラマ

連続テレビ小説 「てっぱん」(2010年9月27日 - 2011年3月26日、NHK) - 主演・村上あかり 役

CM

早稲田アカデミー(2005年9月 - 2008年3月)

ソニー損害保険(2009年10月 - )

アステラス製薬ファイザー 「心配する娘」篇(2009年)

プロモーションビデオ


YUI 「Never say die」(2009年)

ステレオポニー 「はんぶんこ」(2010年)

書籍

森鴎外高瀬舟」(SDP Bunko) - 表紙・巻頭グラビア



てっぱんWEBサイト
http://www9.nhk.or.jp/teppan/


瀧本美織 オフィシャルブログ - みーちゃんねる
http://star-studio.jp/miori/

ソフィア・ローレンさん 優れた芸術の世界的な創造者たちを顕彰する「高松宮殿下記念世界文化賞」の第22回受賞者に選ばれる

優れた芸術の世界的な創造者たちを顕彰する「高松宮殿下記念世界文化賞」(主催・財団法人日本美術協会=総裁・常陸宮殿下)の第22回受賞者が14日、発表され、5部門で5人が受賞した。演劇・映像部門ではイタリアの国際的女優、ソフィア・ローレンさん(75)が選ばれた。女優が同賞を受けるのは初めてのこと。授賞式は10月13日、東京・元赤坂明治記念館で行われる。

 たぐいまれな美貌、存在感、演技力、ファッションセンス…。映画デビューから約60年、米アカデミー賞主演女優賞受賞から約50年たった今も、“イタリアの太陽”と称された輝きは健在だ。



 スイスジュネーブの自宅にはオスカー像を含めトロフィーがズラリと並び、世界文化賞にふさわしい活躍の軌跡浮き彫りになる。自宅で取材に応じたローレンさんは「やはり一番うれしかったのはオスカーの受賞よ」と胸を張った。



 映画初出演は51年のハリウッド大作「クォ・ヴァディス」。エキストラのようなチョイ役だった。それからわずか10年後の「ふたりの女」でオスカーを獲得する。



 そのスター街道には“ふたりの男”の存在が欠かせない。映画プロデューサーで夫となるカルロ・ポンティ氏と、「ふたりの女」監督のヴィットリオ・デ・シーカ氏だ。



 ポンティ氏は駆け出しの無名女優に目をかけて次々と起用。グラマー派女優を演技派に磨き上げた。十数年の不倫交際を経て、ポンティ氏の離婚直後の66年に結婚。「人と適切な瞬間に出会うという幸運が必要。夫とはまさに適切な瞬間に出会うことができた」と恩人との出会いを振り返る。



 デ・シーカ監督とは初めて組んだ「ふたりの女」以降、「ああ結婚」「ひまわり」など秀作を連発していく。「監督は深い確信をもって私を起用し、導いてくれた」。2人の間の深い信頼感、絆がうかがえる。



 デ・シーカ監督は1974年、夫のポンティ氏は2007年に亡くなったが、ローレンさんのスター人生はとどまらない。02年には次男のエドアルド・ポンティ監督の映画「微笑みに出逢う街角」で出演作が通算100本目に。昨年の「NINE」でも貫禄の存在感を放った。



 日本では1970年代にホンダ付きバイクのCMで発した「ラッタッタ」のフレーズが有名。08年にはフジテレビ系SMAP×SMAP」にも出演した。来月、授賞式で来日。10月14〜16日には東京・九段南イタリア文化会館で出演作の上映会があり、舞台あいさつをする予定。太陽の輝きは衰えない。






ソフィア・ローレン

 1934年9月20日、イタリア・ローマ生まれ。母子家庭に生まれ、貧困の中で育つ。14歳のときに美人コンテストの最終審査に残ったことをきっかけにローマの俳優学校に進んだ。51年の映画「クォ・ヴァディス」の端役でデビューし、57年の主演作「島の女」などで国際的スターに。60年の「ふたりの女」でイタリア人女優で初の米アカデミー賞主演女優賞を獲得した。映画プロデューサーの故カルロ・ポンティ氏との間に、指揮者カルロ・ポンティジュニア(41)、脚本家兼監督のエドアルド・ポンティ(37)の2男がいる。



ソフィア・ローレン

ソフィア・ローレンSophia Loren、1934年9月20日 - )はイタリアを代表する女優である。

本名 Sofia Villani Scicolone

生年月日 1934年9月20日(75歳)

出生地 ローマ

国籍 イタリア

活動期間 1950-

配偶者 カルロ・ポンティ(1966-2007)

受賞

アカデミー賞

主演女優賞

1961『ふたりの女

1991 名誉賞

英国アカデミー賞

主演女優賞

1961『ふたりの女

グラミー賞

Best Spoken Word Album for Children

2004『Prokofiev: Peter and the Wolf/Beintus』

ゴールデングローブ賞

1995 セシル・B・デミル

セザール賞

1991 名誉賞

その他の賞

ヴェネツィア国際映画祭 女優賞

1958『黒い蘭』

イタリアの首都であるローマで、ロミーダ・ヴィラーニとリカルド・シコローネの間に生まれた内縁の子であった。幼少時はナポリ近郊ポッツオーリで貧困の中成長し、1950年代初頭にヨーロッパ映画に端役として出演した。その当時の名前はソフィア・ラッツアーロであった。彼女は後の夫となるカルロ・ポンティに見いだされ、彼の制作する多くの映画に出演した。彼女の初期の主演作の1つは1953年の『Due notti con Cleopatra』であった。同作は他の初期主演作と同様に、彼女の肉感的な体を強調した作品であった。さらに幾つかの作品にはトップレスで出演した。それらの作品は当時のヨーロッパでは受け入れられたが、イギリスアメリカではそのような場面はカットされた。



彼女は1951年にハリウッドの超大作『クオ・ヴァディス』に端役で出演したが、1957年の『島の女』が公開されると彼女は国際的スターと見なされるようになった。この作品において、彼女の水に濡れて体のラインが浮き立つシーンは象徴的であった。



彼女はその初期のハリウッド作品『楡の木蔭の欲望』(ユージン・オニールの演劇)、『月夜の出来事』(ケーリー・グラントとのロマンティック・コメディ)、『黒い蘭』(アンソニー・クインとのロマンチックドラマ)でセックスシンボルとしてだけではなく、演技力と喜劇的な実力をも証明した。



ケーリー・グラントとは恋愛関係にあったことを、のちに発表した自伝『生きて愛して』で公表した。
2009年1960年代までに、ソフィアは世界で最も人気のある女優のうちの1人としてハリウッドヨーロッパの両方で作品に出演した。1960年の『ふたりの女』でアカデミー主演女優賞を受賞。同年公開の『求むハズ』では共演のピーター・セラーズとのロマンスが報じられた(彼女は否定している)。この作品のプロモーションでソフィアとセラーズは共にアルバムをレコーディングした。



ソフィアは喜劇王チャーリー・チャップリンの最後の監督作品『伯爵夫人』に出演したことがあり、マーロン・ブランドと夢の共演を実現した。この作品は、チャップリンが、赤狩りによってハリウッド及びアメリカから追放された後の作品で、イギリスで製作、公開されたがあまり知られていない。



長い間、妻のいるカルロ・ポンティとは不倫の間柄だったが、彼の離婚が成立した1972年に正式に結婚した。2人の息子がいる。ポンティの脱税容疑事件の後、ジュネーヴに住んでいる。事件でイタリア当局に没収されていたポンティ所有の絵画を、遺産として取り戻すとして裁判を起こした。



2006年、トリノオリンピック開会式でオリンピック旗を掲揚する際の旗手を務めた。



SSCナポリの熱心なサポーターである。セリエA昇格が期待される2007年には「ナポリが昇格したらストリップショーを開いてもいい」と発言した。



日本における人気

日本の映画ファンにもローレンの人気は大きい。何度か来日もしており、日本のCMに出演したこともある。CMでローレンが発した『ラッタッタ』のキャッチフレーズで有名となったホンダ・ロードパルのCMなどが代表的である。過去の来日時には今川焼きがとても気に入ったそうである。また、俳優二谷英明とのツーショット写真(雑誌「平凡」より、カラー写真)も現存している。



またこの他1980年代初頭には、当時西日本限定放送されていた『スタジオ2時』(毎日放送)に出演したことがある。当時この番組でコーナーの司会を担当していた浜村淳は、ローレンと向かい合って椅子に座った際、ローレンのバスト大きさについて説明したところ、Vの字にあいたドレスの胸元を覗き込もうとした浜村に、急にローレンが「Stand Up!」と叫び、スタジオ内が一瞬氷つく事態となったが、浜村はおとなしく立つと共に、ローレンは微笑むように「立てばもっと良くみえるわよ」と諭されて、事無きを得たという。ただしこの当時、ローレンは夫で映画プロデューサーカルロ・ポンティと夫婦間で亀裂を生じており、極めて機嫌が悪い状態で、日本滞在中もホテルに戻る度に国際電話でポンティに対し、怒りを露にしていたという。




2008年にも来日し、イタリアの宝石ブランド「ダミアーニ」の銀座店のオープニングに登場したほか、4月21日、『SMAP×SMAP』(関西テレビフジテレビ)の「BISTRO SMAP」に登場した。日本語書籍は以下。



ウーマン&ビューティ ソフィア・ローレンが書いた本』

ソフィア・ローレン、林冬子訳、近代映画社、1985年絶版

ソフィア・ローレン 生きて愛して』

A.E.ホッチナー、講談社 、1979年絶版

ソフィア・ローレン 華麗なる大輪のひまわり』

筈見有弘編、芳賀書店、1977年絶版

ソフィア・ローレンのキッチンより愛をこめて あなたも作れるイタリア家庭料理

ソフィア・ローレン、山崎明美訳 サンケイ新聞社出版局、1974年絶版

主な出演作品

クオ・ヴァディス - Quo Vadis(1951)

こんなに悪い女とは - Peccato che sia una canaglia / Too Bad She's Bad(1954)

ナポリの饗宴 - Carosello Napoletano(1954)

バストで勝負 - La Bella Mugnaia(1955)

河の女 - La donna del fiume(1955)

島の女 - Boy on a Dolphin(1957)

殿方ごろし - Pane, Amore e...(1957)

侵略者 - Attila(1958)

楡の木蔭の欲望 - Desire Under the Elms(1958)

月夜の出来事 - Houseboat(1958)

鍵 - The Key(1958) − キネマ旬報ベストテン第8位

黒い蘭 - The Black Orchid(1959)

私はそんな女 - That Kind of Woman(1959)

バラ色の森 - A Breath of Scandal(1960)

西部に賭ける女 - Heller in Pink Tights(1960)

ナポリ湾 - It Started in Naples(1960)

求むハズ - The Millionairess(1960)

ふたりの女 - La Ciociara(1960) − キネマ旬報ベストテン第6位

エル・シド - El Cid(1961)

昨日・今日・明日 - Ieri, Oggi, Domani(1963)

ローマ帝国の滅亡 - The Fall of the Roman Empire(1964)

レディL(1965)

アラベスク - Arabesque(1966)

伯爵夫人 -A Countess from Hong Kong(1967)

ひまわり - I Girasoli(1970)

ラ・マンチャの男 - Man of La Mancha(1972)

旅路 - Il Viaggio(1973)

逢いびき - Brief Encounter(1974)

カサンドラ・クロス - The Cassandra Crossing(1977)

特別な一日 - Una Giornata Particolare(1977)

プレタポルテ - Pret a Porter(1994)

微笑みに出逢う街角 - Between Strangers(2002)

NINE Nine (2009)

アカデミー賞主演女優賞: 受賞者 (1961-1980)



1961: ソフィア・ローレン | 1962: アン・バンクロフト | 1963: パトリシア・ニール | 1964: ジュリー・アンドリュース | 1965: ジュリー・クリスティ | 1966: エリザベス・テイラー | 1967: キャサリン・ヘプバーン | 1968: キャサリン・ヘプバーンバーブラ・ストライサンド | 1969: マギー・スミス | 1970: グレンダ・ジャクソン | 1971: ジェーン・フォンダ | 1972: ライザ・ミネリ | 1973: グレンダ・ジャクソン | 1974: エレン・バースティン | 1975: ルイーズ・フレッチャー | 1976: フェイ・ダナウェイ | 1977: ダイアン・キートン | 1978: ジェーン・フォンダ | 1979: サリー・フィールド | 1980: シシー・スペイセク

世界文化賞

 58年間にわたり財団法人日本美術協会の総裁を務められた故高松宮殿下のご遺志を継ぎ、また協会創立100周年の記念事業として1988年に創設。国際顧問が主宰する各専門家委員会から推薦された絵画、彫刻、建築、音楽、演劇・映像の5部門の候補者を日本の選考委員会で検討し、理事会で決定する。1997年には「若手芸術家奨励制度」が設けられ、次代を担う芸術家の育成にも努めている。日本人では昨年までに演劇・映像部門で黒澤明氏、中村歌右衛門氏、坂田藤十郎氏、建築部門で丹下健三氏、安藤忠雄氏、槇文彦氏、谷口吉生氏、彫刻部門で三宅一生氏、絵画部門で草間彌生氏、杉本博司氏の10人が受賞している。

韓流アイドルグループ旋風"少女時代、KARA"が大人っぽくセクシーさでオヤジ世代にも浸透 大人目線?

韓流アイドル旋風が、オヤジ世代にも浸透 少女時代、KARA…“鍛えぬかれたセクシー”が魅力



■ 韓国の9人組美脚ガールズグループ・少女時代の8日発売の日本デビューシングル「GENIE」が1週目で4・5万枚を売り上げ、20日付オリコンの週間シングルランキングに4位で初登場。海外女性アーティストのデビューシングルでは、8月23日付で韓国の5人組ガールズグループのKARAが「ミスター」で記録した5位を上回り、歴代最高の初登場順位となった。





■韓国のアイドルグループ「KARA(カラ)」 オヤジ世代になぜ人気



 美脚美女9人がズラリ並んだ「少女時代」に、キュートな尻振りダンスの5人組「KARA」。韓流アイドル旋風が、オヤジ世代にも浸透してきた。



 火付け役は、小倉智昭(63)や中山秀征(43)らテレビ情報番組司会者や、KARAの大ファンを自任する劇団ひとり(33)たち。小倉は「とくダネ!」(フジテレビ系)でいち早く少女時代を取り上げ、「彼女たちは鍛え方が違う」と絶賛。10日には番組で日本初の生出演を実現させ、彼女たちを朝のスタジオに迎えて大はしゃぎだった。



 8日に発売された少女時代の日本デビューシングル「GENIE」が1週目で4万5000枚を売り上げ、20日付オリコンの週間シングルランキングに4位で初登場した。海外女性アーティストのデビューシングルでは、8月23日付で“尻振りダンス”が人気を呼んだKARAの「ミスター」が記録した5位を上回り、歴代最高の初登場順位となった。



 ■ロリコンと真逆



 日本テレビ系の「DON!」の中山も負けずに同じ日の午後、少女時代をゲストに迎えた。



 「事前告知なしでゲリラ的な出演だったのに、汐留には100人以上の追っかけが来て、ヒデちゃん(中山)がびっくりしてました」(局関係者)

韓国では数年前から、東方神起、BIG BANGら男性陣に続き、ガールズグループが続々とデビューして群雄割拠。このブームに日本で最初に飛びついたのは、同世代女の子たちだった。



 「先月25日に東京・有明コロシアムで開かれた少女時代のデビューイベントは客席の8割以上が若い女性。美形や化粧、セクシーなファッションに憧れている。すでに韓国のコンサートに出かけ“予習”済みだから、掛け声も『ソニョシデ!(少女時代)』と韓国語でピッタリそろっていた」と訪れた夕刊フジ記者。



 人気の波は、あっという間にオヤジ層にも。



 「日本サイドで助言する大手プロダクションは、『少女時代はワイドショー、KARAはバラエティー番組』と戦略を立て、1年がかりで売るつもりだった。半年前倒しでブームが起きている。ファン層が30〜50代の男性に広がったためです」(音楽関係者)



 約5年前から追い続ける韓流ライターシン上田氏が、オヤジ受けする理由を解説する。



 「天地真理キャンディーズピンクレディーおニャン子クラブなど、それぞれの世代にアイドルに熱狂した過去がある。素地があるところに、歌謡曲ポップスの親しみやすさと、ペンライトや掛け声といったノスタルジックなアイドル像が見事にハマった」



 日本の現在のアイドルには無い側面も。



 「デビュー前に5〜6年のレッスンはザラで、よく鍛えている。見た目も、たとえば、真っ先に日本デビューを果たした10〜20代の5人組『4minute』もグッと大人っぽくセクシー。むしろ、ロリコン風アイドルが幅をきかせている日本の方がアジアの中では“異常”という目で見られています」



 ようやく、大人目線で見られるアイドルが出てきたってことか。

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★KARA(카라、カラ)

韓国の女性5人組の歌手グループDSPエンターテイメント所属。2007年3月に4人組デビューしたが、2008年2月にメンバーの1人が脱退。その後、新メンバーを2人加えて現在の5人で活動中。

現メンバー

パク・ギュリ (朴奎利:박규리:Park Gyuri)



1988年5月21日生 AB型

リーダーリードボーカル

KARAの美と女神を担当

家族:両親

ソウル特別市出身

趣味:読書、映画鑑賞

同徳女子大学校 放送芸能学科 在学

ハン・スンヨン (韓勝妍:한승연:Han Seung-Yeon)



1988年7月24日生 A型

メインボーカル

家族:両親

ソウル特別市出身

趣味:読書、映画鑑賞(アニメ)、電子製品収集。

中学2年から高校1年半までアメリカ

ソフィア・コッポラ監督の米映画「サムウェア」が受賞ベネチア国際映画祭「ノルウェイの森」「十三人の刺客」は受賞ならず

イタリアで開催されていた第67回ベネチア国際映画祭の授賞式が11日夜(日本時間12日未明)行われ、最高賞の金獅子賞ソフィア・コッポラ監督の米映画「サムウェア」が受賞した。



 日本から出品されたトラン・アン・ユン監督の「ノルウェイの森」(村上春樹さん原作)と、三池崇史監督の時代劇十三人の刺客」は受賞を逃した。審査員長は米国のクエンティン・タランティーノ監督。



 「サムウェア」は、ハリウッド俳優の日常を通して、現代人の孤独を浮き彫りにした作品。監督自身が脚本も手掛けた。日本では来年4月に公開予定。コッポラ監督は「ゴッドファーザーシリーズで知られるフランシス・フォード・コッポラ監督の娘。





 ほかの主な賞は次の通り(敬称略)。



 銀獅子賞(監督賞)=アレックス・デ・ラ・イグレシア(「トランペット悲しいバラード」)▽審査員特別賞=「エッセンシャルキリング」(イエジー・スコリモフスキ監督)▽男優賞=ビンセント・ギャロ(「エッセンシャル・キリング」)▽女優賞=アリアーヌ・ラベ(「アッテンバーグ」)▽特別獅子賞=モンテヘルマン監督


ソフィア・コッポラ

Sofia Coppola

本名 Sofia Carmina Coppola

生年月日 1971年3月14日(39歳)

出生ニューヨーク州ニューヨーク

職業 映画監督プロデューサー脚本家・女優

活動期間 1972年 -

活動内容 1972年:デビュー

1998年:映画監督デビュー

2004年:アカデミー賞受賞

家族 父:フランシス・フォード・コッポラ

ドメスティック・パートナー事実婚):トーマス・マーズ

主な作品

ゴッドファーザー PART III』

ロスト・イン・トランスレーション

受賞

アカデミー賞

脚本賞

2004年『ロスト・イン・トランスレーション

ゴールデングローブ賞

脚本賞

2004年『ロスト・イン・トランスレーション

ゴールデンラズベリー賞

ワースト助演女優賞

1991年『ゴッドファーザー PART III』

ワースト新人賞

1991年『ゴッドファーザー PART III』

セザール賞

外国語映画賞

2004年『ロスト・イン・トランスレーション



生い立ち

ニューヨーク州ニューヨーク市出身。父親はイタリア系アメリカ人で映画監督のフランシス・フォード・コッポラ。母親は父親の映画のセットデザイナーであったアイルランド系アメリカ人エレノアニール。音楽家カーマイン・コッポラは祖父、俳優のニコラス・ケイジジェイソン・シュワルツマン従兄弟に、女優のタリア・シャイアは叔母にあたる。兄弟にロマン・コッポラ、ジャンカルロ・コッポラがいる。ジャンカルロは22歳の時に交通事故で死亡。



俳優業

ゴッドファーザー』では、洗礼を受ける男の子として乳児期に出演をしており、『Part III』では主人公マイケルの娘を演じた結果不名誉なゴールデンラズベリー賞のワースト助演女優賞とワースト新人賞を受賞した。



チャーリーとチョコレート工場』などの監督で知られるティム・バートンが、ディズニーアニメーターとして在籍していた時に制作した短編映画フランケンウィニー』には端役で出演している。



監督業

1998年に『Lick the Star』で映画監督デビューを果たす。2003年公開の『ロスト・イン・トランスレーション』でアカデミー脚本賞ゴールデングローブ賞 脚本賞セザール賞外国映画賞などを受賞し、注目の女流監督となる。



ガーリー・カルチャーを語る上で欠かせない存在であり、女性ファンも多い。また、映画のサウンドトラックの良さが好評で、音楽的センスも評価されている。自身の作品『ロスト・イン・トランスレーション』ではマイ・ブラッディ・ヴァレンタインをいち早く取り上げたことでも知られる。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインボーカルケヴィンシールズソニック・ユースとは個人的な親交がある。また、ケミカル・ブラザーズビースティ・ボーイズらのミュージック・ビデオに出演、ホワイト・ストライプスミュージックビデオの監督も務め、デビュー当時無名だったザ・レディオ・デプトを見出すなどしている。



私生活

映画監督のスパイク・ジョーンズと1999年に結婚したが、2003年に離婚。クエンティン・タランティーノとの交際歴もある。現在はフランスのバンドフェニックスのボーカリストであるトーマス・マーズと交際。2006年11月28日に女児(ロミー)を、2010年6月25日に女児(コジマ)を出産。



映画界ではアレクサンダー・ペインポール・トーマス・アンダーソンウェス・アンダーソンゾーイ・カサヴェテスら同世代クリエイターたちと親交がある。



主な監督作品

ヴァージン・スーサイズ』- The Virgin Suicides(1999年)

ロスト・イン・トランスレーション』- Lost in Translation(2003年)

マリー・アントワネット』- Marie-Antoinette(2006年)

主な出演

ゴッドファーザー』 - The godfather(1972年)

ゴッドファーザーPARTII』 - The Godfather: Part II(1974年)

『フランケンウィニー』 - Frankenweenie (1982年)

アウトサイダー』 - The Outsiders(1983年)

ランブルフィッシュ』 - Rumble Fish(1983年)

『ペギースーの結婚』 - Peggy Sue Got Married(1986年)

ゴッドファーザーPARTIII』 - The Godfather: Part III(1990年)

スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』 - Star Wars: Episode I - The Phantom Menace(1999年)

CQ』 - CQ(2001年)

岡本夏生スリーサイズも全部ウソ!バストはFカップです。嘘いつわりはありません!男はこっちから狩りに行きます

岡本夏生スリーサイズも全部ウソ!バストはFカップです。嘘いつわりはありません


タレント岡本夏生が、ワコールラブエイジング。」キャンペーンイベントに登場した。体に合った下着を身につけることで、美しいバストを保つという趣旨にのっとり、12日に45歳になる岡本も10年以上ぶりに採寸。ジャストフィットしたブラジャーに変えたおかげで、CカップからEカップにサイズアップすると、「自分でもビックリ。50歳、60歳になっても怖いものは無い!」と大興奮。過去には年齢を詐称していたが、「プロフィルも全部ウソ。プロフィル上はバスト87センチだけど、実際は82センチ。ウエストもヒップも、さば読んでた。今日を機にガチンコでいきます!」と潔くカミングアウトした

タレントの岡本夏生が、東京都内で下着大手ワコールが開いた「ラブ、エイジング。」キャンペーンのイベントに登場。体にぴったり合ったブラジャーを着けて“おっぱい美魔女”に変身した。



 「こにゃにゃちわ〜、お久しブリーフ」と人を食ったあいさつで現れた岡本は、同社から「女性の胸はそげる、たわむ、外へ流れる順序で変化します」と聞かされ、「もうすぐ45歳ですが、42歳で胸が崩壊した感じ。さよならグッバイ、わたしのおっぱい…」。



 しかし、採寸し直してもらってブラを替え、くっきりとした胸の谷間で再登場すると「Cカップと思ったらEカップ! 胸元がこにゃにゃちわ〜」と胸も気分も急上昇



 「(過去に)年齢詐称も訂正したけど、スリーサイズも全部うそ。バスト87は実は82、ウエスト59は本当は68…」と岡本。ここ10年間は仕事が少なく「奇跡的に地獄から生還しました」と喜び、話が止まらなかった。


タレントの岡本夏生(44)が8日、都内で行われたワコールの「ラブ、エイジング。」キャンペーンのキックオフイベントに出席した。



 女性の体にフィットした下着を身につけることが美の法則の一つで、美しく年齢を重ねる秘けつであることを訴求するもので、アラフォー世代でも美しいバストをキープする“おっぱい美魔女”らとともに、同社のブラジャーをPRした。



 久々に数多くの報道陣を前にして「みなさーん、こにゃにゃちわー」とハイテンションの岡本。ワコール人間科学研究所の研究員に「女性のバストは加齢により上胸が“そげる”、下部が“たわむ”、外側に“流れる”」と説明を受けると、岡本は「確かに42歳くらいで胸が崩壊した。おへそに近づいてしまった」と告白。



 “おっぱい美魔女”の「20歳の時から自分に合ったブラをその都度選んでつけていた」という秘けつを聞き、岡本は「わたしは10年前に買ったブラを今でもつけてます。今は稼ぎがありませんから」と自虐ネタで応酬した。ここで岡本は一時退席。ブラをジャストフィットする物に替えて再登場した。「わたしも“おっぱい美魔女”の仲間入りでーす。胸元年齢が5歳も若返っちゃいました」と胸元のビフォー・アフターを公開。担当者に計測してもらったところ、Cカップ70と思っていたのがEカップ65だったという。



 調子に乗った岡本は衝撃のカミングアウト。「年齢詐称問題も訂正したから、スリーサイズも本当のことを言っちゃいます。今までのプロフィルは全部ウソ。B87・W59・H87ではなく、実際はB82・W68・H84くらいでーす」と最後までハイテンションだった。

タレント、岡本夏生(44)が8日、都内で開かれた女性下着メーカー「ワコール」の主催するイベントに参加、「おっぱいの形を美しく保つためには、自分のバストをちゃんと計ってもらって、ブラジャーを選びましょう」と呼びかけた。



 ピッタリのブラジャーをつけた岡本は「スリーサイズは82・68・84で、バストはFカップです。嘘いつわりはありません! 45歳になる12日はニューハーフ友だち誕生会を開いてもらいますが、男はこっちから狩りに行きます」とハイテンションだった。



★おかもと なつき

岡本 夏生 プロフィール

別名 金村 幸子

(かねむら さちこ =本名)

早川 ゆうき

テレビ初出演時の名義)

生年月日 1965年9月12日

現年齢 44歳

出身地 日本・静岡県

血液型 B型

公称サイズ(2010年時点)

身長 / 体重 165.4 cm / 46 kg

BMI 16.8(低体重)

スリーサイズ バスト 82cm - ウエスト68cm - ヒップ84 cm

ブラのサイズ E65

身長 / 体重 5′ 6″ / 101 lb

スリーサイズ 32 - 27 - 33 in

●人生ガチンコすぎるわよ

http://ameblo.jp/okamoto-natsuki/
活動

デビュー 1986年

ジャンル タレント

他の活動 女優

岡本 夏生(おかもと なつき、自称1965年9月12日 - )は、日本の女性タレントである。初めはレースクイーングラビアアイドルなどとして活動していた。現在芸能事務所には所属せず、フリーランスとなっている。

経歴

岡本は初め、地元のローカルテレビ局・テレビ静岡情報生番組 『情報交差点DO!』に、「早川 ゆうき」の芸名で1986年(昭和61年)4月からレギュラー出演していた。



その後、番組降板と同時期に所属事務所を変更し、芸名も現在の「岡本夏生」とした。1989年(昭和64年)に 『日清カップヌードルレーシングチーム』のレースクイーンとなり、広く知られるようになった。



セクシーなファッションやスタイルでテレビバラエティ番組にも多く出演した岡本は、グラビアファンには支持されたものの、お茶の間の人気は芳しくなく、『孤立無援のハイレグ』と自称していた。1990年代になると、飯島愛杉本彩らと並ぶセクシー系のバラエティタレントとして広く活動するようになり、女優としてのドラマ出演なども行った。テレビのバラエティー番組、『たけし・逸見の平成教育委員会』(フジテレビ)では、天然ボケを交えた珍回答をしばしば披露していた。



2000年代にはテレビ出演は稀であった反面、ゴルフのプロアマ大会には頻繁に登場していた。テレビ番組へのレギュラー出演復活は、2005年(平成17年)4月放送開始深夜番組、『夜美女』であった。それに先立つ同年2月には、『くりぃむナントカ』で、スケートリンク内でお母さん役で出演していた。



2009年(平成21年)9月、岡本はテレビ番組の「あの人は今!?」的な企画に出演、レースクイーン時代に着用していた『日清カップヌードル レーシングチーム』の衣装であったハイレグ水着姿でのゲスト登場を試みたが、出演者たちによってマントで体を隠されてしまった。さらに岡本は、ぞろ目時刻である2010年(平成22年)2月2日午前2時22分22秒、初めてとなるブログを開設した。また岡本は同年7月、テレビ番組で、レオナルド・ディカプリオ渡辺謙へのインタビューをしている。



公称プロフィール問題

岡本に関して発表されているプロフィールの内容には、これまでしばしば疑義が呈されており、その内容には「自称」と付記されることも多い。



年齢詐称疑惑については、1997年(平成9年)の節分に放送されたテレビのトーク番組で、年齢と同じ数を食べるとされる節分の豆を37個も食べ、司会の小堺一機を唖然とさせた[6]。しかしながら、これについては本人が後日、「笑いを取るために、とっさに豆を沢山食べて驚かせようと思った」としている[7]。また、関西のテレビ番組では女優・秋野暢子(1957年生)の、「実は岡本夏生は私と同い年」との発言が話題となった。



年齢詐称疑惑は2000年(平成12年)頃にも再燃したが、岡本本人は疑惑の真相について半ば肯定ともとれるスタンスを取り続け、暗黙の了解として程なく沈静化した。



2010年(平成22年)9月、下着メーカーのキャンペーンイベント出演に際して岡本のスリーサイズが計測したところ、B82、W68、H84であり、それまでの公称「B87/W59/H87」との違いが明らかとなった。また、自身がCカップで70だと思っていたバストサイズは、Eカップ65であった。



これまで公表されているプロフィールのデータは所属事務所がいつの間にか書き換えたもので、それを知った時には自分が一番驚いたという[10]。特にスリーサイズについては岡本自身が、苦笑しながら「私、あんなにスタイル良くありませんよ」としたほどであった。一方、生年月日については本当であり、岡本は「なんなら戸籍謄本取りに行ってください」とまで言っている。一方、「保険証を見せても実際の年齢を信じてもらえない」などと、自身でもネタにしている。



交友関係

1998年(平成10年)に『日清カップヌードル レーシングチーム』のレースクイーンを務めた際の同僚であり、後に歌手として人気となった坂井泉水ZARD)とは親交があった。坂井は2007年(平成19年)に急死、コメントした岡本は、レースクイーン時代に坂井と数名のスタッフ一緒にカラオケボックスに行き、坂井が高橋真梨子の楽曲、「for you…」を歌うのを聞いて、坂井に「こんなにいい歌声だったら、最高の歌手になれるかもね」と言ったエピソードを明かした。



著作家吉田豪は、岡本に手を焼かされたと明かしている。



2009年9月18日、「おもいっきりDON!」に出演。同番組のトークで、現在人脈ゼロになったらしい。



その他

くりぃむナントカ』には度々出演。2006年2月6日放送では、メイド姿で「もも子」役に変身。また同年春に放送されたスペシャルでは忍者に扮していた。しかし同番組では、毎回の様に悪い扱いを受け「毎回毎回ガチンコ過ぎるわよ!!」とキレるのが定番の流れになっている。現在開設されているamebaブログのタイトルは、この言葉が由来。 



美容整形を受けた経験を公言しているが、豊胸手術はしていないとのこと。また、アダルトビデオへの出演を依頼されて断ったことがあるという。アトピー性皮膚炎である。



かつて漫画『クレヨンしんちゃん』の主人公・野原しんのすけお気に入りの女性タレントだった。また、気象解説者の福井敏雄が唯一名前を知ってる芸能人だった。

写真集

VENUS (1989年8月20日 近代映画社ISBN 4-7648-1609-1

SPLASH (1990年8月10日 ワニブックス) ISBN 4-8470-2150-9

GIDDY (1991年6月24日 白泉社) ISBN 4-592-73097-6

瞳の毒 (1992年11月10日 ワニブックス) ISBN 4-8470-2296-3

Nudie (2002年8月30日 バウハウス) ISBN 4-89461-905-9

ビデオ

TROPICAL WIND (1989年7月20日 大陸書房) ISBN 4-8033-2129-9

サンビーム (1990年5月6日 大陸書房) ISBN 4-8033-2713-0

DVD

Nudie (2003年4月14日 バウハウス) ISBN 4-89461-724-2

深津絵里(37)が「悪人」で第34回モントリオール世界映画祭最優秀女優賞に輝いた。「スタッフにいただいた賞」

第34回モントリオール世界映画祭で6日、日本から出品されている「悪人」(李相日監督)で最優秀女優賞に輝いた深津絵里(37)は「ありがとう、メルシーボク。私がここに手にしている賞は『悪人』という作品を作ったすべてのスタッフにいただいた賞だと思っています。本当にうれしいです。日本にいるキャスト、スタッフの皆にこの喜びを伝えたいです。ありがとうございました」と授賞式の壇上でスピーチした。



 また、授賞式を終えて「監督の演出がなければあの演技はできなかったと思うし、(相手が)妻夫木さんでなかったら獲れなかった賞だと思います」と語った。





妻夫木聡



「夢のような感じがします。僕らの熱が伝わったと思います。深津さんがいたからこそ、高め合って、支え合って撮影できた。家族が賞を取ったような気がします」



李相日監督



「役者の力を見せつけられた。全員で勝ち取ったと思います」

「悪人」Youtube


★ふかつ えり

深津 絵里

本名 深津 絵里

別名 ふかっちゃん

水原里絵高原里絵(旧芸名)

生年月日 1973年1月11日(37歳)

出生地 日本, 大分県大分市

血液型 O

ジャンル 女優

活動期間 1988年 -

活動内容 1988年:女優デビュー

1997年:『踊る大捜査線

主な作品



映画

1999年の夏休み

踊る大捜査線 THE MOVIE

スペーストラベラーズ

阿修羅のごとく

西遊記

ドラマ

恋ノチカラ

パラダイスにっぽん』

透明人間

踊る大捜査線

きらきらひかる

カバチタレ!

西遊記





受賞

ミス原宿グランプリ

日本アカデミー賞

山路ふみ子

日本映画批評家大賞

報知映画賞

モントリオール世界映画祭最優秀女優賞



★深津 絵里(ふかつ えり、本名:同じ、昭和48年(1973年)1月11日 ‐ )は、日本の女優。所属事務所はアミューズ



愛称「ふかっちゃん」。



大分県大分市出身、身長156cm、体重41kg、血液型O型山羊座堀越高等学校卒業。



来歴

1986年、東京・原宿で行われていたミス原宿グランプリ(コンテスト)に参加し優勝をしたのをきっかけに芸能界デビュー(当時13歳)。

1988年3月26日公開の映画『1999年の夏休み』でスクリーンデビュー。

同年、JR東海の「HOME-TOWN EXPRESS・クリスマスバージョン」(クリスマス・エクスプレス'88)CMに起用され、一躍有名となる。

当初は「水原里絵」、また「高原里絵」名義でアイドル・歌手活動もしていたが不調に終わり、その後は本名での活動に落ち着いた。(高原里絵と深津絵里を両用していた期間がある)

出身校の堀越高等学校編入ではなく、新入学する前は、日本音楽高等学校に在籍していた。

1996年には初主演映画である『(ハル)』が公開。

初主演ドラマは1990年TBSで放送された『パラダイスにっぽん』(戸高正啓演出)。1997年にフジテレビで放送された『踊る大捜査線』に恩田すみれ役でレギュラー出演し一気に知名度をあげる。

1998年、ドラマ『きらきらひかる』では主演を務め1999年、2000年にはスペシャルドラマも放送された。

2002年、主演ドラマ『恋ノチカラ』は女性の共感を呼び、毎年冬になると再放送されている。

2003年に公開された『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジ封鎖せよ!』、『阿修羅のごとく』の2作品で第27回 日本アカデミー賞助演女優賞としてノミネートされ、『阿修羅のごとく』で最優秀助演女優賞を受賞した(ただし、授賞当日は舞台中であったためテレビ電話での出演となった)。

2006年、動画配信サービスGyaOで『深津絵里のblack comedy ブラコメ』がインターネット上で配信され、翌年2007年にDVDが発売された。

2008年、主演舞台『春琴』で第43回紀伊國屋演劇賞 個人賞を受賞。同舞台は2009年、イギリスロンドンバービカン・センターと東京・三軒茶屋世田谷パブリックシアターで再演された。

2009年、2008年に公開された映画『ザ・マジックアワー』で第3回 アジア・フィルム・アワードの主演女優賞候補に選ばれ香港での授賞式に出席した。

2009年初夏には13年ぶりとなる主演映画『女の子ものがたり』が公開。

2010年映画『踊る大捜査線 THE MOVIE 3』が7月3日に公開、映画『悪人』が9月11日に公開。この映画『悪人』で第34回モントリオール世界映画祭最優秀女優賞を受賞。

2011年秋には主演映画『ステキな金縛り』が公開予定。

人物・性格

両親との3人家族で一人っ子。父親がエンジニアであり、幼少の頃一緒に張先である外国に何度か旅行している。それがきっかけで彼女自身、旅行好きになったという。母は書道家深津諭美子

一般的には演技派女優と評価されている。印象と背の低さから、ドラマではしとやかな女性、マイペースな女性、内向的で弱気な女性像にキャスティングされることが多かったが、ちゃきちゃきした女刑事役や正義感溢れる女性記者役、大奥総帥天璋院役や三蔵法師役などもこなし、新境地を開拓した。「フジっ子」としても知られている。

常に黒髪なことで有名。役によって髪型を変えることはあっても、髪色に関しては常に黒色で「この眉と瞳の色には、黒い髪が合っていると思うので染めようと思った事は一度もない」と、「いち髪」のCM時にコメントしている。

ほくろやそばかすがチャームポイント。

隠れ巨乳として有名。舞台『農業少女』では大胆に露出した胸の谷間が話題となった。

芸能界切ってのディズニーファン

言葉の響きが好きで小さい頃は薬剤師になりたかったという。しかし、友達が保母さんと言うと私もと流されるタイプの子供であり、ただ早く大人になりたいという思いはあったと話す。

自分の長所・短所は「人が言えないようなことをズバズバ言うところ」と話す。

自分の性格を動物例えると牛(のんびりしているところ)で、好きな動物はチーター

付き合う男性は年上・年下関係なく、夢ばっかり追っている男でも大丈夫とのこと(『僕らの音楽福山雅治との対談の発言にて)。

食べる事が大好きである。これだけは譲れないということは?の質問に「デザートを食べること。食事の最後にデザートを食べる事は欠かせないし、譲れない」と話している。

映画館の雰囲気が好きで作品を問わずよく観に行く。

常盤貴子とはドラマで共演して以来仲がよく、プライベートでも一緒に遊んだりしている。
評価・エピソード

大分県大分市出身であり、『踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル』で1シーンだけ大分弁を話すシーンがある。同シリーズでは同じ大分市出身のユースケ・サンタマリアとも共演している。

映画『阿修羅のごとく』で酔っているシーンを撮影する際、実際にお酒を顔が赤くなるまで飲んで撮ったという。本人は酒好きであり「お食事を頂いているときにちょっと飲む程度。好きなのはシャンパン。酔っぱらうことはありません」とインタビューで話している。

JCBのCMで激辛トムヤンクン食べるシーンで、スタッフが空のお皿を食べている演技をしてもらうつもりだったが「それではリアルさが伝わらないのでは?」と自ら提案し辛さ20倍のスープを涙ながらに飲んだというエピソードがある。

同じ事務所所属の福山雅治に自身の1月11日の誕生日に111本のバラをプレゼントしてもらったことがある。

女優の握力を予想するゲームにおいて、周りの予想を上回る32kgをだし場内を沸かした。

ドラマカバチタレ!』は、かつて『悪魔のKISS』で共演した常盤貴子が、「また深津と共演したい」という希望が叶ったドラマであり、話を聞いた時お互いが逆の役をやるのとばかり思っていた。

常盤貴子天海祐希と仲がよい。天海が30代の時3人で「カッコよく楽しく生きる三十路会」を開いていた。



木村拓哉福山雅治ロンブー淳臼田あさ美佐藤健水川あさみ星野真里など芸能人にファンが多い。木村拓哉は「深津絵里さん=女優。 優れた女と書いて女優。」と評している。また臼田あさ美は自身のブログで憧れているとコメント、同じアミューズ所属の佐藤健は『恋するハニカミ!』にゲスト出演した際、「中学の頃からのファン」「ハニカミデートしたい」と語るほど深津のファンである。

三谷幸喜は深津を映画『ザ・マジックアワー』に起用した理由について、2007年に公開した映画『西遊記』で共演し会話をした際「感じが良かったから」だと話す。劇中で深津はアフレコではなく撮影時の生歌を披露しているほかエンディングにはロングバージョンも歌っている。このことについても「深津さんは歌でも芝居でもホントにカンの良い人でした。(アドリブも)深津さんは絶対に笑わない。彼女はNGも出さない。もう、鉄の女。絶対に崩れないタイプ」「耳もいいし、英語の発音完璧。エンディングは圧巻でした」と評している(『ザ・マジックアワー』オフィシャルブックより)。



出演

ドラマ

予備校ブギ(1990年4月20日〜7月6日、TBS ) - 島岡真弓

パラダイスにっぽん★初主演ドラマ(1990年7月29日、TBS) - 藤井早苗

ハイスクール大脱走(1991年1月9日〜3月27日、テレビ東京) - 栗田つぐみ 役

ルージュの伝言第5話「最後の春休み」(1991年4月3日〜9月25日、TBS) - 松本利江 役

空白の絵本(1991年8月6日、NHK) - 三次明子 役

オンナって不思議 第一話「ロストバージン」(1991年9月27日、TBS) - ともみ 役

愛という名のもとに(1992年1月9日〜3月26日、フジテレビ) - 高井桐子 役

世にも奇妙な物語/DOOR(1992年7月23日、フジテレビ) - ヤザワミチル 役

夏の夜の留守番(1992年8月17日〜8月20日テレビ朝日) - 広田芽子 役

二十歳の約束(1992年10月12日〜12月21日、フジテレビ) - 澤井茜 役

結婚式(1993年5月7日、フジテレビ) - 青木

悪魔のKISS(1993年7月7日〜9月22日、フジテレビ) - 朝倉幸子 役

大人のキス(1993年10月23日〜12月18日、日本テレビ) - 桜井玲子 役

この愛に生きて(1994年4月14日〜6月30日、フジテレビ) - 土岐小織

若者のすべて(1994年10月19日〜12月21日、フジテレビ) - 水沼亮子 役

最高の片想い WHITE LOVE STORY(1995年1月11日〜3月22日、フジテレビ) - 主演・加藤くるみ 役
ベストフレンド(1995年10月16日〜12月11日、日本テレビ) - 野川由子 役

ナニワ金融道 パート1(1996年2月16日、フジテレビ) - 高橋正子

透明人間 DEAD ZONE IN ZEUS(1996年4月13日〜7月6日、日本テレビ) - 笹森飛鳥 役

踊る大捜査線シリーズ(1997年 - 、フジテレビ) - 恩田すみれ(刑事) 役

踊る大捜査線(1997年1月7日〜3月18日)

踊る大捜査線 歳末特別警戒スペシャル(1997年12月30日)

湾岸署婦警物語 初夏の交通安全スペシャル(1998年6月19日)

踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル(1998年10月6日)

薔薇の殺意〜虚無への供物(1997年8月13日〜8月19日、NHK) - 奈々村久生 役

成田離婚(1997年10月15日〜12月17日、フジテレビ) - 結城玲子 役

徳川慶喜(1998年、NHK大河ドラマ) - 天璋院

きらきらひかる(1998年1月13日〜3月17日、フジテレビ) - 主演・天野ひかる 役

きらきらひかる2(1999年4月23日、金曜エンタテイメント

きらきらひかる3(2000年4月4日)

彼女たちの時代(1999年7月7日〜9月22日、フジテレビ) - 主演・羽村深美 役

天気予報の恋人(2000年4月10日〜6月26日、フジテレビ) - 金子祥子 役

カバチタレ!(2001年1月11日〜3月22日、フジテレビ) - 主演・栄田千春

忠臣蔵1/47(2001年12月28日、フジテレビ) - 堀部ほり

恋ノチカラ(2002年1月10日〜3月21日、フジテレビ) - 主演・本宮籐子

空から降る一億の星(2002年4月15日〜6月25日、フジテレビ) - 堂島優子 役

末っ子長男姉三人(2003年10月12日〜12月21日、TBS) - 主演・柏倉(高梨)春子 役

川、いつか海へ 6つの愛の物語(2003年12月12日・26日、NHK) - 主演・本間(海江田)多実 役

スローダンス(2005年7月4日〜9月12日、フジテレビ) - 主演・牧野衣咲 役(主演)

西遊記 (2006年1月9日〜3月20日、フジテレビ) - 三蔵法師

CHANGE(2008年5月12日〜7月14日、フジテレビ) - 美山理香 役

the 波乗りレストラン 第33話 (2008年11月9日、日本テレビ) - 亜美 役

松本清張生誕100年記念作品・駅路(2009年4月11日、フジテレビ) - 福村慶子 役

映画

1999年の夏休み(1988年、松竹) - 則夫 役

ステイ・ゴールド(1988年、松竹 公開) - 芦川理沙 役

上記2作は水原里絵名義で出演した作品)



満月のくちづけ(1989年、東宝) - 高原里絵 役

(上記作品は役名と同じ高原里絵名義で告知が行われ、同名義で挿入歌のCDの販売も行われたが、映画公開の日程が半年近くずれた事もあり、最終的には深津絵里名義で公開された)





真夏の地球(1991年、松竹富士) - 橋本由子 役

バースデイプレゼント(1995年、東宝 ) - 川野恵里 役

(ハル)(1996年、東宝)ほし(藤間美津江) 役

踊る大捜査線シリーズ - 恩田すみれ 役

踊る大捜査線 THE MOVIE(1998年、東宝) - 恩田すみれ 役

踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジ封鎖せよ!(2003年、東宝) - 恩田すみれ 役

踊る大捜査線 THE MOVIE 3(2010年7月、東宝) - 恩田すみれ 役

スペーストラベラーズ(2000年、東映) - 相田みどり 役

阿修羅のごとく(2003年、東宝) - 竹沢滝子 役

博士の愛した数式(2006年、松竹東急) - 杏子

西遊記(2007年、東宝) - 三蔵法師

ザ・マジックアワー(2008年、東宝)- 高千穂マリ

ホノカアボーイ(2009年、東宝)- チャコ

女の子ものがたり(2009年、エイベックス) - 高原菜都美 役

悪人(2010年9月11日公開予定、東宝) - 馬込光代 役

ステキな金縛り(2011年秋公開予定、東宝

舞台 [編集]

アンの青春(1992年)

陽だまりの樹(1995年)

キル(1997年)

半神(1999年)

農業少女(2000年)

贋作・桜の森の満開の下(2001年)

カメレオンズリップ(2004年)

走れメルス 〜少女の唇からはダイナマイト!〜(2004年)

あわれ彼女は娼婦(2006年)

春琴

春琴(2008年)

春琴(2009年2月、イギリス・ロンドンバービカン・センター)

春琴(2009年3月)

ベッジ・パードン bedge pardon(2011年)

CM

ビクターJVCS-VHSビデオHR-S5500』

エースコック 『大盛中華焼きそば』『大盛りいか焼そば』

アサヒ飲料 『アクアV』

三菱 『ミラージュ』(1992年)

花王ルアージュ』(1994年)

グリコキッス コレクション』(1994年)

日清製粉マ・マー スパゲッティ』(1995年)

明治製菓ポルテ』(1995年)

DeBeers 『ダイヤモンド エンゲージリング』(1998年 - 2000年)

JCBカード

ミッキーの耳編』

タイ料理編』

フジスタッフスピード写真

エーザイ チョコラシリーズ

JR東海

HOME-TOWN EXPRESS・クリスマスバージョン(クリスマスエクスプレス'88)』(1988年)

『クリスマスエクスプレス2000』(2000年)

KDDIDION

ミュージカル編』

『最先端ファッション編』

『機械に嫌われた女編』(2003年)

サントリー

グレフル、ピングレ、キョホグレ』

大地と水の恵み』

インテル

『みつばち編』

『犬のマフラー編』

『ウホハ編』(2006年)

森永製菓

『DARS2006モカビター 8月までの期間限定 -期間限定の女篇-』(2006年)

『DARS2007 2月までの期間限定 -占い編-』(2007年)

カネボウホームプロダクツ いち髪

『登場篇』

『秋・訪問篇』

『冬・白壁篇』

『春・石段編』(2007年)

味の素ゼネラルフーヅマリーム

サッポロビール 冬物語

ガマンできない編』

『見ないで編』

ヤクルト本社 ジョア(2008年)

ラジオ

ラジオガルーダばりばりマッシュルーム(1988年10月〜1989年3月、ニッポン放送) - アシスタント

ここはグリーンウッドドラマ) - 新田美恵子 役

イベント

「ゼラチンシルバーセッション08展 Save The Film」