「松山事件」で、死刑確定後に再審無罪となった斎藤幸夫さんの無罪を信じて支え続けた母ヒデさんが昨年末、入所先の施設で静かに息を引き取った

0マツヤマ

 「今頃、天国で夫に無罪判決を伝えているだろう」――。松山町(現・大崎市)の農家で一家4人が殺害された■「松山事件」で、死刑確定後に再審無罪となった斎藤幸夫さん(2006年に75歳で死去)の無罪を信じて支え続けた母ヒデさんが昨年末、入所先の施設で静かに息を引き取った。101歳だった。ヒデさんは、次男の無実の訴えに半生をささげ、15年以上にわたり全国で署名活動するなど再審の扉を開いた。当時を知る人は「文房具店(現・藤崎)の前に立って署名活動をしていた姿がまだ目にやきついている」と、ヒデさんの生涯を偲(しの)んだ。

 当時再審を担当した弁護団によると、ヒデさんは昨年12月24日、入所先の大崎市内の特養老人ホームで死去した。84年に無罪判決が出てから2人は大崎市鹿島台平渡の自宅で暮らし、晩年は幸夫さんがヒデさんの介護をしていた。再審無罪に向けて一緒に活動した青木正芳弁護士は「無罪判決から24年。心穏やかな最期を迎えられたのではないか」と思いをはせた。

 ヒデさんは1969年3月、署名活動のため、仙台市内の街頭に初めて立った。「地元では真犯人を連れてこいとやじられることもあった」(弁護団)というが、ヒデさんは堂々と無実を訴えていたという。15年もの間、全国各地で集めた署名は約1万9000人に上った。

 青木弁護士は「ヒデさんがいたから無罪を勝ち取れた。息子の無罪を信じる活動が私たちを支えてくれた」と振り返る。ヒデさんの夫の虎治さんは、再審開始決定を知る前に亡くなっており、「ようやく自分の口で報告できるでしょう」と続けた。

 ■松山事件 1955年10月18日未明、松山町の農家が全焼し、一家4人の他殺体が見つかった事件。斎藤幸夫さんが強盗殺人と放火容疑で逮捕された。斎藤さんは一度は犯行を認めたが、起訴直前から一貫して否認。仙台地裁古川支部が57年、死刑判決を下し、60年11月に最高裁で確定した。斎藤さんは「自白は捜査官の強制、誘導」と無実を主張し、79年12月に仙台地裁が再審開始を決定。斎藤さんは84年7月、無罪を勝ち取った。

( 読売新聞)