屋台「喜楽」を営む磯チカさん(83)が店を畳むことを決め、常連客から惜しむ声が上がっている

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仙台市青葉区の青葉通に面した仙台銀行本店前で屋台「喜楽」を営む磯チカさん(83)が店を畳むことを決め、常連客から惜しむ声が上がっている。夜の社交場を切り盛りして半世紀以上。体力的にきつくなり、「店は今年いっぱいか来年3月まで」と言う。市中心部の屋台営業は宮城県や県警などの規制要項で「一代限り」になっており、仙台の夜を彩る風物がまた一つ姿を消す。

 喜楽は1956年、現在の場所から東に約400メートル離れた中央3丁目で営業を始めた。当時、市内には100店近い屋台が軒を連ねていた。今のメニューはおでんだけだが、当初は焼き鳥や焼きそばも提供し、出前の注文も受けていた。

 磯さんは「友人に勧められて始めた。接客業は初めての経験だったので、開店当時は客が来なければいいとさえ思っていた」と振り返る。
 すぐに常連客が付くようになり、客との会話が仕事のやりがいになった。数年前には常連客が鍋とカウンターを新調してくれた。開店時から通い続ける客もいる。

 「店に来て、客と笑ったり怒ったりしている時が一番楽しい。店を休んだ日は気持ちが落ち着かず、熟睡できない」
 それでも深夜に及ぶ仕事は年々、負担が大きくなった。80歳を過ぎると足腰が弱くなり、転んでけがをすることも増えた。

 「家族からは何度も店をやめるように言われていた。口は動くけど、体がついてこない」。寄る年波には勝てず、店じまいすることにした。

 常連の一人で宮城野区の公務員男性(30)は「人情味のある屋台で、通うたびに心が癒やされた。店を閉じてしまう前に、できるだけ足を運びたい」と惜しむ。
 現在、青葉通に残る屋台は喜楽を含め3店。どこも店主が高齢化している。

 「屋台は仙台の文化の一つ。一代限りの規制は厳しい」と磯さん。一抹の寂しさはぬぐえないが、「常連さんの声に後押しされ、何とか続けてこられた。これまで利用してくれた人たちに感謝したい」と再び笑顔を見せた。

[露店飲食店処理要項]宮城県、県警、仙台市の3者が道路管理や食品衛生の観点から1965年6月に定めた。現在、公道上で露店飲食店を営業している人に限り、道路使用許可を出す。許可は一人につき1店となっているため、営業は一代限りになる。常時移動しながら営業する露店は含まれない。河北より