「レッドクリフ」について周瑜の妻・小喬を演じ映画初出演を果たしたリン・チーリンに聞く

世界中で愛されてきた英雄伝「三国志」をジョン・ウー監督が全2部作で映画化した「レッドクリフ」。

勇気と友情と愛を描いた本作で英雄を演じているのは、トニー・レオンさん(周瑜)、金城武さん(孔明)、チャン・チェン孫権)さん、中村獅童甘興)さんなど豪華俳優陣。そして絶世の美女と言われた周瑜の妻・小喬を演じ映画初出演を果たしたのが、リン・チーリンさん。台湾のトップモデル、タレントとして活躍し、中国語圏では圧倒的な人気を誇っている彼女ですが、演技はこれまで未経験。撮影前に8ヶ月間の猛特訓を行った結果、スクリーンの中で見事な演技を披露しているリン・チーリンさんに、映画初出演についてや撮影秘話、美と健康の秘訣などについてお話しを伺いました。

―女性読者に向けて、映画の見どころを教えてください




三国志の中の“赤壁の戦い”を元にしたストーリーで、ジョン・ウー監督が撮ったこの「レッドクリフ」は愛と平和と希望をテーマにした作品になりました。その中で強調されているのは、皆が力を合わせて“団結”すれば色んな事が克服できるということ。皆さん、お仕事やプライベートで様々な問題を抱えていらっしゃると思いますが、この映画のように勇気と希望を持って決断をし、乗り越えていただきたいです。



―リン・チーリンさんご自身もこの映画を通して学ばれた事はありましたか?





(日本語で)「ありました(笑)」

一番大事だったのは“自分をいかに知るか!?”ということです。私自身は感情の起伏をあまり外に出さず、激しい感情を内に秘めてしまうタイプでした。それが小喬(しょうきょう)を演じてみて、押さえていた気持ちをもっと発揮してもいいんだという事、またそれをどのように表現したら良いのかという事を学びました。



―来日記者会見で小喬のことを「芯がある女性」と表現されていましたが、まさにリン・チーリンさん自身もそういう方なんですね



(日本語で)「恥ずかしい(笑)・・」



―ご自身に近いキャラクターを演じたという点で、あまり苦労はしなかったですか?



監督から「柔らかいけれど、芯の強いところを演じて欲しい」と指示をいただき、確かに私の心の中には“しっかりとした芯の強さ”があるけれど、その“強さ”や“柔らかさ”をどの程度出していけば良いのだろうと考えました。自分に似た部分があっても、それを演技で表現しなければならないのは難しかったです。



―演じる上で心がけた点について教えてください



始めは同時に色々な事を考えるのが難しくて、台詞を言う時の声に捕われすぎて演技が疎かになってしまうということがありました。そういう時は落ち着いてもう一度よく小喬という女性について考えてみるというステップを踏んで、監督が求める小喬と自分の思い描く小喬像を近づけました。





―映画初出演と思えないほど、スクリーンの中で存在感が大きかったです。タレントやモデルとして活躍されるリン・チーリンさんと、映画女優リン・チーリンさんの一番の違いは何でしょうか?



モデルの仕事は表現方法が表面的ですが、女優として演技をするときはその役になりきりますから深い表現方法を要求されます。そこが大きく違う所です。また映画は数百の人達が力を結集してひとつの作品を創っていくわけですから、規模がまるで違いますよね。



トニー・レオンさんと夫婦役を演じましたが、撮影はいかがでしたか?



初めて会ったとき、緊張して顔が赤くなっちゃいました(笑)。

トニー・レオンさんは今年の7月に結婚されましたが、撮影中はまだだったんですね。ですから私もトニーさんも、夫婦というものがどういうものなのか十分に分かっていませんでした。そこで監督がお話してくださったご経験を参考にしましたが、トニーさんは「まるで僕達2人は監督と監督の奥さんを演じているようだ」って仰っていました(笑)。



―日本に留学経験があったり、台湾で日本をPRするお仕事をされたりしていますが、日本の好きなところと嫌いなところを教えてください



(日本語で)「好きなところ、たくさんあります!」

日本は“過去”“現在”“未来”がミックスされていて、古い文化もきちんと保ちながら、未来に向けたクリエイティブなところがあると思います。日本から情報発信される新しいものも多いですし、その古いものと新しいものが一緒になって作られているというところに一番興味があります。

そして特に好きな場所は、京都と北海道と東京。たくさんの場所に行きましたが、中でもこの三都市が大好きです。



―逆に嫌いな部分はありますか?



それは難しいです。ありません。



―モデル出身ということで素晴らしいプロポーションです。30代になってもスタイルを維持されている秘訣や健康法があれば教えてください



ジムで体を鍛えたり水泳をしたりと毎日運動しています。そうすることで体調を維持出来ると思いますので、“毎日体を動かす”という習慣をつけておくと良いのではないでしょうか。それと水分補給をたくさんすること、精神面では“いつも楽しい心持ちでいる事”がとても重要だと思います。年齢にこだわることなく、30代そして40代を過ぎても、自分の気持ちが“女の子”であれば、いつまでも若くいられるのではないでしょうか。



―“いつまでも若い女性”が目標ですか?



そうですね。“気持ちが!いつも若い女性”でいたいと思います(笑)。



★林 志玲(リン・チーリン、1974年11月29日 - )は、台湾台北市出身のタレント、モデル。 身長174cm。血液型はO型(一部B型説もあり)、星座は射手座



日本では「リン・チーリン」の表記が定着している。



略歴

高校、大学時期にはカナダに留学しトロント大学西洋美術史経済学の学士を取得、2000年ごろ台湾に戻り、2001年まで華岡芸術学校にてダンスを教える。この時、才能を見出され、モデルになる。



2002年、香港唐安麒集団のテレビ広告に抜擢され、有名になる。



2004年度から2006年度まで、3年連続で「ビジット・ジャパン・キャンペーン台湾親善大使」に、日本の北側一雄国土交通大臣(当時)より任命された。



2005年には、日本の大手芸能プロダクションであるオスカープロモーションと契約[1]、今後日本での芸能活動を行う方針とされてきた。しかし、それ以降も日本市場では未だに活動がない。



2005年台湾のアカデミー賞ともいわれている台湾金馬奨司会。バスローブでステージに登場し、台湾世論を騒然とさせた。



2006年二月に台湾で、サラリーマンを対象に「バレンタインデーに一緒に過ごしたい女性」を調査した結果、2位以下を大きく引き離し38%の支持を得て林志玲が1位となった。因みに男性の一位は金城武



2006年4月に、一旦全ての仕事をリセット長期休暇に入る、と発表された。長期休暇中の5月には、南アフリカに長期滞在しエイズ対策のNGOボランティア活動に従事したり、『日本再発現』など日本がらみの仕事は継続しており、また、映画出演オファー等の話題に事欠かなかった。



呉宇森ジョン・ウー)監督作品『赤壁(邦題:レッドクリフ)』のヒロインである小喬役に決定。 2007年3月中国河北省で撮影開始、100億円近い巨額を投資して製作され、台湾や中国などでは2008年7月10日、日本では2008年11月1日公開された。また、これに関連して、2009年4月、日本で『林志玲(リン・チーリン)ビジュアルファンブック』が学研から発売され、サイン会も開かれた。



2009年、SMAPの曲「そっと きゅっと」のプロモーションビデオに出演。



人物

『台湾第一名模(台湾でトップモデルの意)』と言われ、林志玲の動向、言動は常に台湾メディアの注目の的となっている。



一部のメディアで、台湾のアイドルグループであるF4の言承旭(ジェリー・イェン)との交際が噂された。 また、同じくモデルの孫正華との不仲説を伝えている。中国大連市の落馬事故(後述)の際、孫正華は台大病院の林志玲を見舞ったが、こののち偶然に発熱などの病状が悪化したと台湾のメディアは大きく伝えた。しかし、孫正華は「濡れ衣を着せられた。私が行かなかったら、私たちは仲が悪いと言われて、行ったら行ったで、彼女の具合を悪くしたって責められて…… もう嫌になります」と反論している[3]。



赤毛トイプードル犬を飼っており、名前は「COFFEE」[4]。この犬は、交際がウワサされているジェリー・イェンと一緒に買いに行き、彼からプレゼントされたものだとされている[5]。



また、落馬事故の際に『植物の優』のCMへ本人の代理で出演した。入院中の主人を想い寂しがるという名演技でマスコミから『主人がトップモデルなら、飼い犬も芸達者なモデル犬だ』と盛んに報道された。



特技はバレエと水泳。台湾語の他に北京語、英語と簡単な日本語を話すことができる。流暢な英語が話せるのはカナダのトロントへ大学留学の経験がある為。簡単な日本語が話せるのは一時期、台湾の観光大使として日本を何度か訪問し事前に学んだことによる(NHK英語でしゃべらナイト」出演時にNHKアナウンサーとのインタビューにて流暢な英語と簡単な日本語を披露した。又、FNN「とくダネ!」では中野美奈子のインタビューに日本語を主体として様々な質問に答えた)。



中華圏では発音の近い「冰淇淋(bīngqílín、ビンチーリン)」と呼ばれており[6][7]、ネット上では発音が似ているのと入力がしやすいという点で「040(língsìlíng、リンスーリン)」と表記されることが多い。



2007年12月に台湾メディアが発表した「2007年芸能界の長者番付リスト」のモデル部門で1位となった。映画、CMやバラエティ番組など幅広く精力的に活動し、6000万台湾ドル(約2億円)稼いだとされる。