アメリカンフットボール元日本代表の中島佑選手(アサヒビールシルバースター=28)と交際2カ月でスピード破局したことがサンケイスポーツ報道で明らかになったモデル、梅宮アンナ(37)が7日、ブログで別離を認めた。




 先月27日以降、更新していなかったが、7日付で「TRUE STORY」と題した文面を掲載。先月28日に堂々の交際宣言をしたアンナは、わずか8日後の破局について「素敵な出逢いがあった事、それは今も変わらぬ想いでいる。。。またひとつ新たな経験をしました。。大変な事や辛い事、困難にぶち当たった時、いつも学びと思い、必ず乗り越えて来たかな。。」と綴った。



 一方で「自分の道は自分で創って行く。私がつないでる小さな手とともに」と1人娘、百々果ちゃん(8)と前向きな決意を見せた。関係者によると、アンナと中島選手は交際宣言直後に大ケンカをし、修復不可能になった。また、中島選手が老舗和菓子店の跡取りでもあることから、両親が猛反対したという。


★梅宮 アンナ(うめみやアンナ、1972年8月20日 - )は、東京都出身のファッションモデルタレント。元スター。血液型はO型



父は俳優の梅宮辰夫。母はアメリカ合衆国出身(ドイツとスパニッシュの血が入っているといわれる)。梅宮万紗子はいとこ、高橋克典ははとこに当たる。



来歴

川村幼稚園から川村小学校川村中学校を経て、東横学園大倉山高等学校卒業。



1990年代に『JJ』の専属モデルとして活躍。「アンナが着れば売上が伸びる」と言われ、雑誌の発行部数にも大きく寄与して一時代を築いた。専属モデルとしては珍しい雑誌間での引き抜きに近い移籍劇があった。



1995年羽賀研二との交際の絶頂期に篠山紀信撮影によるペアヌード写真集『アンナ 愛の日記』を出した事もあり、これは羽賀の借金返済の一環だったとも言われているが、後にエッセイ『「みにくいあひるの子」だった私』の中で「私一人で考えて、純粋メモリアルとしてやったものだった」と告白している。



2001年テレビ朝日系「ほんパラ! 関口堂書店」の企画で初エッセイ『「みにくいあひるの子」だった私』を執筆している。



2001年6月元飲食店従業員と電撃入籍



2002年1月にアメリカで無痛分娩で長女を出産する。



2003年2月離婚



2007年6月30日付けスターダストプロモーションと契約解除したことが7月4日に明らかになった[1]現在は30代の女性向けファッション、料理、ライフスタイルの情報雑誌VERY』でモデルを勤めている。





現在、本人個人事務所INDUSTRIAにて活動中である。



人物

モデル業の他に1990年代半ばからバラエティ番組などで活躍した。2000年代に入り一時はテレビでの活躍もみられなくなったが、現在も定期的にバラエティトーク番組に出演している。



2007年、父の梅宮辰夫がレギュラー出演している特命係長・只野仁(3rdシーズン最終回(第31話)にゲスト出演し、親子共演を果たす。なお、その中でベットシーンも果した主演の高橋克典とははとこに当たる。



同じくファッションモデル出身のタレント神田うの梨花とは親友で、テレビやイベント等での共演がよく見られた。



漫才師の海原やすよ・ともことも親交を持っている。



2007年8月20日 35回目の誕生日に自身のブログ「アンナビ」を立ち上げた。ファンと同じ視点に立ち、ときにはコメントした投稿者の名前をブログに登場させて、読者とのコミュニケーションを双方向で行ない、芸能人と一般人が同じ視点で対話できることが受け、梅宮アンナの人柄を大変親しみやすいと感じさせるブログであったが、投稿者の名前をブログに出すことを名前が出なかったファンにより非難指摘され、それが元で9月9日ブログが炎上した。これを機にコメント、トラックバックともに止められた。またブログも放置されるかたちのまま更新も行われなくなった。9月11日に「今日から。。。。。」という題名のブログがいったんは掲載されたが、9月16日突然理由も分らぬまま削除された。



2008年3月12日ブログ再開。



女性自身9月4日号の記事で、娘をインターナショナルスクールへ入れたがったが、パパ(梅宮辰夫)は名門私立女子校への進学を望んだため大ゲンカをして家出し、結局、インターナショナルスクールへ入れたと語っている。また、この号の記事では「娘が15歳になったらスイスの学校へ行かせたい」「45歳になったらカリフォルニアオレンジカウンティに一軒家を建てて住みたい」とも語っている。2007年9月9日のブログでも「将来日本を離れアメリカで人生を楽しもうと思っています」と書いている。



2007年10月8日オンエア美しき青木・ド・ナウの「愛され女子検定」企画の中で、「スペースマウンテンに乗るようなスリルある恋愛を好んでしまう」ことを告白している。



女性自身2008年1月1・8・15日合併号の記事で、新しい恋について聞かれ、友達みんなから「アンナは日本人もダメ、アメリカ人もダメ、日系アメリカ人だよね」と言われ、「もし私が新しい恋をするなら、日系アメリカ人って思い始めたの」「私と同じような境遇の人がやっぱりいいのかな…」と答えている。



著書

『「みにくいあひるの子」だった私』(2001年、講談社

写真集

『アンナ 愛の日記』(1995年、新潮社