長島圭一郎が銀、加藤条治が銅スピードスケート男子500メートル バンクーバー五輪

バンクーバー冬季五輪第4日の15日(日本時間16日)、スピードスケート男子500メートルで、長島圭一郎日本電産サンキョー)が1分9秒98で2位、加藤条治(同)が1分10秒01で3位に入り、それぞれ銀、銅メダルを獲得した。



 日本勢の今大会初のメダルで、同種目で2個のメダルを獲得したのは、5大会ぶり。



 モ・テボンが1分9秒82で韓国にスピードスケートで初の金メダルをもたらした。及川佑(ゆうや)(びっくりドンキー)は13位、太田明生JR北海道)は17位だった。



 フィギュアスケートペアはフリーが行われ、ショートプログラム(SP)3位の川口悠子アレクサンドル・スミルノフ組(ロシア)は4位で、ロシアの13連覇はならなかった。2大会連続銅メダルだった申雪趙宏博組(中国)が優勝した。



長島圭一郎(ながしま けいいちろう、1982年4月20日 - )は、北海道中川郡池田町利別出身のスピードスケート選手。身長171cm。



略歴

1985年にスケートを始め、中学時代はスケート部の他に野球部にも所属する二刀流で、池田高校3年時にインターハイ1000mで優勝。

日本大学に進学。学生氷上選手権で活躍し、2004年のユニバーシアードインスブルック大会500mで優勝。

2005年 - 日本大学卒業後、日本電産サンキョーに入社。全日本スプリント選手権総合優勝を飾った。

2006年2月 - トリノオリンピックに出場したが、注目度の高かった清水宏保加藤条治、日本人最高の4位入賞を果たした及川佑の影に隠れ、500mは13位に終わる。1000mは32位。

2006年10月 - 全日本スピードスケート距離別選手権大会で500mと1000mの2冠達成。

2006年11月10日 - W杯開幕戦オランダ)で500m35秒10を記録し、W杯自身初優勝。同12日にも優勝し、大会2連覇。

2010年2月15日 - バンクーバーオリンピック、スピードスケート男子500mで銀メダル獲得。





 アルペンスキーが2日遅れで始まり、男子滑降でディディエ・デファゴ(スイス)が優勝。ノルディックスキー距離の男子15キロフリーでは、成瀬野生(のぶ)(岐阜日野自動車)が49位。女子10キロフリーでは、福田修子(同)が52位、柏原理子(早大)が61位だった。


思わず笑みが広がった。ゴールラインを通過し、腕を突き上げた長島は、バックストレートの高村コーチとハイタッチをかわすと、勢い余って転倒。それでも興奮は収まらない。6位と出遅れた1回目を一気に挽回(ばんかい)する34秒87。暫定1位に躍り出たことを確認すると、またも腕を突き上げた。



 「今までで一番熱いレースができた」。メダル以上に、最高の舞台で、最高のパフォーマンスを演じられたことがまずはうれしかった。整氷トラブルの影響を受けた1回目。1時間余り進行が遅れ、「休み過ぎてしまった。アップ不足。経験不足でした」と自戒した。だが、気持ちを引きずらない。「転んでもいい」とすべてを2回目にぶつけた。通常よりも2キロほど体重が重いまま、あえてシーズン入り。この五輪にピークを合わせた。その成果を発揮する。“世界一美しい”と評されるフォームでバランスよくカーブを通過し、最後はひと回り大きくなった筋力で粘りきった。



 最終組が滑り終えると、観客席に向かって何度も順位を確認。その表情はすでにほころんでいた。銀メダル。「あまりにも差があって悔しいとも思えなかったことが情けなかった」。トリノ五輪で味わった屈辱をバネに努力を重ねた末につかんだメダル。表彰台を自身も含めたアジア勢で独占した27歳は「アジアで切磋琢磨し、世界と互角に戦えるようになればいい」。メダル1個では終われない